●○● 天声人碁 ●○●


2004年6月

◎2004/06/29 「少年少女囲碁大会/2004」

今年の県大会出場者は約120人、有段者は20名を超えていました。年々レベルが上がって
喜ばしいことです。

ただ、マナーの面ではどうでしょう。礼儀正しい小中学生もいましたが、雑談など騒がしい参加
者も見うけられました。

一つは指導者によるしつけ教育、これは日本の教育全体の問題でもありますが難しい課題です。
あと、囲碁のマナーについては指導も必要ですが、大人が手本となるような対局マナーを保持
することが大切だと思います。

         ◇  ◇  ◇  ◇

県代表は小学生・中学生の各2名を選抜します。今回は各16名で4回戦のスイス方式でした。
最後の決勝戦を対局中、このシステムについて保護者からクレームがつきました。

代表選考は実力本位が最優先ですが、時の運もあります。できる限り運に左右されないような
選抜方法で運営しているのを理解してほしいと思います。

オリンピック開催も間近、日本の代表選考でも色々なドラマがありました。
たくさんのメダル獲得を期待しています。


◎2004/06/26 「本因坊戦第4局、張本因坊が3勝、初防衛に王手」

 囲碁の張栩本因坊(王座)に依田紀基名人(碁聖)が挑戦している第59期本因坊戦七番
勝負第4局は17日から和歌山県高野町の「別格本山総持院」で行われ、先番の張本因坊が
7目半勝ちし、対戦成績を3勝1敗とした。
 第5局は24−25の両日、神奈川県平塚市で行われる。

                 (日経囲碁サイト 6月18日より抜粋)

         ◇  ◇  ◇  ◇

張本因坊、しぶとい勝ち方で防衛にあと一勝。一方の依田名人はカド番に追い込まれました。
内容的にはどちらにもチャンスがあったようですが、粘っこい碁で張本因坊が逃げ切った印象
です。

依田名人の特長として石の捨て方が巧みといわれています。我々、アマは石を取られるのが
悔しくて、形勢を損じることが少なくありません。
「捨小就大(小を捨てて大に就け)」、これ何事にも言えることですね。

         ◇  ◇  ◇  ◇

今回の対局地は和歌山県の高野山。囲碁や将棋のタイトル戦は時々寺院で開催されます。
旅館やホテルでの開催もいいですが、静寂の寺院での対局も荘厳な雰囲気があり、趣きが
あると思います。


◎2004/06/16 「日本棋院新理事長に加藤前本因坊」

 日本棋院は8日の理事会で、新理事長に前本因坊の加藤正夫理事長代行(57)を選出
した。

 元日本航空社長の前理事長利光松男氏(80)が任期半ばで4月に突然辞任し、理事長
空白が長くなるのは不適切として就任した。棋士が理事長になるのは23世本因坊の坂田
栄男氏(84)以来18年ぶり5人目。

 加藤新理事長は名人2期、本因坊4期、王座11期などの強豪。就任の記者会見で「棋院
の改革と囲碁普及に力を注ぎたい」と話した。


                 (朝日新聞 6月8日より抜粋)

         ◇  ◇  ◇  ◇

経済界出身首脳部の相次ぐ退陣の背景には、インターネット利用の対局計画を巡る棋院
執行部の不協和音があるということですが、経済界のトップにいた人達がこれらの問題で
退陣するとは、少し情けないと思います。

これで日本棋院は棋士だけの運営ということですが、先行きが不安に思います。
加藤九段は現役の棋士ですがファンとしては、勝負に専念しタイトル奪取をめざしてほしい
ものです。

         ◇  ◇  ◇  ◇

一方、関西棋院は塩川正十郎氏(前財務相)が新理事長に就任し、披露パーティーでは
「家庭で囲碁や将棋を楽しむようになれば、家庭も世の中も明るくなる。関西棋院が良く
なり棋士が強くなるために力を尽くす」と力強くあいさつしたそうです。

関西の方が意気が揚がっているようですね。


◎2004/06/09 「本因坊戦第3局、依田紀基名人が勝ち1勝2敗に」

 5/31から三重県鳥羽市で行われた第59期本因坊決定戦七番勝負の第3局は挑戦者の
依田紀基名人(38)が張栩(ちょうう)本因坊(24)に先番中押し勝ちし、対戦成績を1勝2
敗とした。第4局は17、18日、和歌山県高野町の別格本山・總持院で行われる。

 一日中好天が続いた伊勢湾が夕暮れを迎えようとするころ、接戦に決着がついた。厳しい
表情で盤面を見つめていた張が及ばずと見て投了を告げる。依田はしばらく硬い表情だった
が、間もなく笑顔が浮かんできた。

 戦いに次ぐ戦いに終始した碁は、依田の頑張りが功を奏し、ヨセを迎えた段階ではわずか
に黒優勢と見られた。最後に張はコウを挑んで逆転を策したが、依田は正確に応対した。

<依田名人の話>
 打ち掛けのあたりではまずい碁にしたと思っていた。しかし、2日目の昼には結構いい勝負
になった気がした。黒183と取って少しいいかと思った。

<張本因坊の話>
 1日目は悪くない展開だと思っていたが、もう少し左下のコウ争いを続けるのだったか。
白168以降、上辺の打ち方が問題だった。どう打っても実戦よりはよかったでしょう。

                 (毎日新聞 6月1日より抜粋)


         ◇  ◇  ◇  ◇

依田名人、やっと一勝をあげました。苦しい中盤からの粘りが勝利につながったようです。
名人はどちらかといえば先行逃げ切りタイプで、粘って逆転のケースは少ないように思い
ます。

七番勝負では第四局がカギになるといいます。張本因坊が勝てばカド番に追い込み絶対
有利ですし、依田名人が勝てばタイとなり反撃体制となります。

個人的には2勝2敗のタイとして、七番勝負を面白くしてほしいと思いますが・・・

         ◇  ◇  ◇  ◇

今回の対局地は三重県鳥羽市。伊勢志摩国立公園の中心で真珠、水族館などが有名です。
私は小学生の修学旅行で伊勢神宮と鳥羽に行った記憶があります。

その頃、国鉄(JR)参宮線はまだ蒸気機関車だったと思います。広大な古木に囲まれた伊勢
神宮、青い海と緑の島々、鳥羽の水族館や真珠島など初めて見る風景や文化・生活に目を
輝かせたものでした。

いま同じところを訪ねても、その頃の感動に比べるとテンションは低いように思いますが、どう
でしょう。
昔の思い出は美化するといいますからね・・・


◎2004/06/06 「徳川家康ら4人が囲碁殿堂入り」

 日本棋院が新設する「囲碁殿堂」の第1回殿堂入りが発表された。いずれも江戸時代の
人物で、徳川家康、初代本因坊算砂(さんさ)、ともに「碁聖」とたたえられる四世本因坊道
策と本因坊跡目秀策の4人。

 家康は大名や豪商らと囲碁対局を楽しみ、のちの本因坊など四つの家元や「御城碁」創
設の基盤を築いた。算砂は京都・寂光寺の僧で近世囲碁史の開祖。道策は「天下敵なし」
といわれた江戸前期の強豪。幕末の秀策は布石の秀策流や御城碁19連勝で有名。

 東京都千代田区の日本棋院会館地下1階に11月15日、オープンする囲碁殿堂資料館
に肖像レリーフと功績が掲げられる。 囲碁殿堂は、史上に輝く大棋士と発展普及に貢献
した人を顕彰し後世に伝えるのが目的。「野球殿堂」を手本に日本棋院の前理事長・利光
松男氏が提唱し、伝統の囲碁文化の拠点と期待される。

 来年度は江戸時代と明治、再来年度以降は現代まで広げて選考する。

                 (朝日新聞 5月28日より抜粋)


         ◇  ◇  ◇  ◇

「囲碁殿堂」、囲碁人口の規模からすると、大げさな感じで少し違和感があります。
過去の資料等の保存・展示は大切なことだと思いますが、「殿堂」はどうも・・・、記念館とか
歴史館でいいと思いますね。

徳川家康がそんなに囲碁界に貢献したとは知りませんでした。
家康は三河の岡崎で誕生しました。家康が生まれたところから地元には「康生町」という地名
が残っています。

最近は結構、家康関連で岡崎をPRしていますが、私が子供の頃はそれほど目立つほどの印
象はありませんでした。

人物評価も時代や世代によって変化するのでしょう。明治維新では官軍に対して徳川は賊軍
という立場ですからね。

「信長」「秀吉」「家康」、人によってそれぞれ好みはあるでしょうが、私は三河の血が流れる家
康派ですね。


◎2004/06/02 「囲碁対抗戦(団体戦)」

昨年の冬に続き、私の所属する囲碁部と市役所囲碁部で親善碁会を行いました。

成績は苦戦が予想されましたが、相手チームは現役引退などで強力メンバーを欠いたこと
もあり、18勝9敗と予想外の勝利を得ることができました。

しかしメンバー集めには苦労しています。
わがチームは11名参加しましたが、現役:6名(うち3名は他事業所)でOB:5名という構成
でした。

この先2〜3年ほどで現役が引退すると、残りは2割くらいになってしまいます。
職域の囲碁部運営はどこもきびしい状況ですが、OBとの混成メンバーで運営していかざる
を得ないでしょう。


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