●○● 天声人碁 ●○●


2004年7月

◎2004/07/28 「アマ十傑戦、中国人留学生の王さん初優勝」

 第44回朝日アマ囲碁十傑戦全国大会は最終日の7/19、東京都・日本棋院会館で準決勝、
決勝、各順位戦が打たれ、初出場の愛知県代表、王劭(おう・しょう)選手(23)が優勝した。

 決勝戦で敗れた田中選手はアマ本因坊2回の強豪。アマ十傑戦の決勝進出は3回目だった
が、またも準優勝だった。

 十傑は次の通り。(敬称略)

 (1)王劭(愛知)(2)田中正人(愛媛)(3)金沢盛栄(神奈川)(4)西村修(招待)
 (5)坂本修作(茨城)(6)田中伸拓(石川)(7)滝沢雄太(学生招待)(8)石井成幸(群馬)
 (9)多賀文吾(招待)(10)府栄野友康(南北海道)

                                (2004/07/19朝日新聞より抜粋)

  ★生活費月3万円の苦学生 朝日アマ囲碁十傑戦優勝・王劭さん

 優勝した王劭さんは南京市生まれ。地球物理の研究者の父親(51)に6歳で囲碁を手ほ
どきされ、
地元の子供囲碁教室で上達。「高校生のとき、将来は棋士かと悩んだ。でも、な
れるかどうか不安な
ので勉強を選んだ」

 南京の大学で電気制御を学んで昨春来日。日本語学校に通い、この8月には大学院修士
課程の入試が控えている。


 名古屋市千種区で1DKのアパート暮らし。トイレは共用、風呂はない。月の生活費は3万
円の苦学生だ。
「食べ物の値段が高い。自炊で得意なのはインスタントラーメン。毎日1食は
ラーメンです」と朗らかに笑う。


南京の仲間で中国のプロになっている二、三段の若手とインターネットで対局している。「彼ら
には全く歯が
立たない」

 日本のアマ囲碁大会に参加したのは初めて。愛知大会で初優勝し、「全国大会は1勝でき
れば上々」と臨んだ
結果が、6連勝でアマ名人。決勝戦の大盤解説をした依田紀基名人が
「読みがしっかりした鋭い碁。形もいい」
と感心するほど本格的な打ちぶりだった。

 将来は電気の技術者になり、母国と日本双方で働きたいという。

                               (2004/07/20朝日新聞「ひと」より)

         ◇  ◇  ◇  ◇

中国ではプロ棋士をめざしたこともあるという王さん、いきなり優勝ですか。中国の層の厚さを
感じさせますね。

それにしても王さんの留学生活のつつましやかなこと、日本の学生も昭和50〜60年代は似た
ような状況だったんでしょうね。

それを思うと現代の学生はどうでしょう、時代は変わっても大切なものは失ってほしくないと
思います。これは若者だけの話ではありませんが・・・


◎2004/07/26 「2004/夏期囲碁合宿」

先日(7/10〜7/11)、私が世話人をしている囲碁部の夏期合宿を開催しました。
今回の参加者は18名(東京方面:8名、高崎周辺:10名)、場所は埼玉県小鹿野町の
「越後屋旅館」で行ないました。

毎回場所選びに苦労していますが、近隣の宿泊施設をインターネットで検索していたところ、
囲碁用品が揃って料金も手頃なことからここに決めました。

温泉や自然という面ではイマイチでしたが、囲碁合宿という点では十分満足できました。
囲碁ファン向けの宿泊施設は各地に少しはありますが、もっとあってもいいと思いますね。

         ◇  ◇  ◇  ◇

今回も指導棋士として杉本明プロに参加していただきました。1泊2日で夜は2時頃まで
計15局、これではプロの棋戦以上に疲れると思います。次回はもう少し早めに切り上げ
ようと思っています・・・

大会の傾向としては、上位者と下位者の差が開いていることです。級位者の人が気軽に
参加できるよう工夫が必要と思っています。


◎2004/07/21 「碁聖戦第2局、依田碁聖が雪辱し1勝1敗に」

 7/15、京都府綾部市で打たれた「第29期碁聖戦」五番勝負第2局は依田碁聖が白番
中押し勝ちし、対戦成績を1勝1敗とした。
 第3局は26日、東京都千代田区五番町の日本棋院会館で行われる。

<依田紀基碁聖の話>
真ん中のしのぎ勝負だったが、死ぬ石ではない。黒の一等地を荒らしたところで(自分の
方が)いいと思った。

<山田規三生八段の話>
中央をしのがれてもまだやれると思っていたが…。下辺の打ち方がまずかったかもしれ
ない。

                    [2004年7月15日/共同]

         ◇  ◇  ◇  ◇

依田碁聖のしのぎが冴えた一戦で、立合いの林名誉天元も「依田碁聖の快勝譜」と評した
そうです。

相手の模様にどこまで踏み込めるか、ついつい境界線を越えて頓死するケースが少なくあ
りません。かといって安全第一ばかりでは勝てません。

周囲の状況・形勢を冷静に判断し最善手打つ、理屈では分かっていてもこれが難しい・・・

         ◇  ◇  ◇  ◇

今回の対局地は京都府綾部市。関東方面ではあまりなじみがありませんが京都府北方に
位置し、舞鶴市・福知山市などに接した山間の町で「グンゼ」発祥の地でもあるそうです。

今回の対局誘致は市長が大変な囲碁愛好者で、関係団体に強く働きかけ実現にこぎつけ
たとのことです。ご当地の囲碁ファンは恵まれていますね。


◎2004/07/17 「本因坊戦第6局、張栩本因坊が初防衛」

 7/8から青森県三沢市の古牧温泉渋沢公園渋沢邸で行われた第59期本因坊決定戦
七番勝負の第6局は張が先番半目勝ちし、4勝2敗で2連覇を果たした。
昨年本因坊を獲得して囲碁界の頂点に上りつめた張が強敵を破って連覇した。

<張本因坊の話>
6局全局が印象に残りますが、運が良かったのだと思います。ただ、自分の実力は出し
切れました。

<依田名人の話>
勝負には勝つときもあれば負けるときもあります。実力は出し切ったので、まあ、仕方が
ないですね。

                 (毎日新聞 7月10日より抜粋)


         ◇  ◇  ◇  ◇

今回のシリーズ、半目に始まり半目で終わりました。結局、半目勝ちを二つものにした
張本因坊のせり勝ちということでしょうか。

「切れ」の張本因坊、「大局観」の依田名人といわれていましたが、過密スケジュールで
依田名人の大局観がズレたのかもしれません。

これで張2冠(本因坊・王座)、依田2冠(名人・碁聖)は動かずということになりました。

         ◇  ◇  ◇  ◇

半目勝負、私などの対局でも細かい勝負で地を数えている時はドキドキしますね。
結果、半目勝ちの時は「ラッキー!」と思わず叫びたくなりますし、半目負けの時は「ツイて
ないね・・・」とつぶやきます。

大差の碁より半目勝負の方が喜び・悔しさは大きいように思います。

         ◇  ◇  ◇  ◇

今回の対局地は森県三沢市。三沢で思い浮かぶのは三沢基地ですかね。
東北新幹線は八戸まで開通しておりそこから少し北に位置し、東京から4時間10分くらい
で行けるそうです。

         ◇  ◇  ◇  ◇

  −三沢の空の歴史−

 「空の街、三沢」−−そんな言葉が、みごとな自然風土に囲まれたこの北東北の一都市
に名づけられたのは、二人のアメリカの青年と「ミス・ヴィードル号」の太平洋無着陸横断が
始まりでした。

それから70年以上の歳月を経て、三沢空港は今、在日米軍・航空自衛隊・民間航空の航空
機が大空を飛び交うわが国唯一の空の港として発展を遂げています。

                 (三沢空港ターミナルHPより)


◎2004/07/08 「碁聖戦第1局、挑戦者・山田八段が半目勝ち」

 6/29、高知市で行われた「第29期碁聖戦」五番勝負第1局は挑戦者の山田規三生八段
が依田紀基碁聖に半目勝ちした。

 序盤は、山田八段が中央の六子を捨てる作戦に出たが、これが裏目に出て依田碁聖が
形勢を大きくリード。山田八段は上辺の依田碁聖の模様に打ち込み、必死の勝負手を放っ
た。白が死ねば終わりだったが、依田碁聖が誤って白を生かし逆転。その後必死に追い込
むも、及ばなかった。
 第2局は7月15日、京都府綾部市で行われる。

<依田碁聖の話>
 (序盤で)終わったと思っていた。上辺が手になるとは思わなかった。左辺でも 見損じが
あった。

<山田八段の話>
 最初が悪すぎた。最後まで勝った気がしなかった。

<立会人の武宮九段の話>
 依田碁聖は、棋戦続きで疲れているのかな。簡単な見損じをしてしまい、大逆転を許してし
まった。勝ち切らなければならない勝負を落とし、新碁聖誕生があるかもしれないね。

                     (高知新聞より抜粋)


         ◇  ◇  ◇  ◇

依田碁聖、必勝の碁を落としてしまいました。山田八段の必死の粘りに根負けした感じで
しょうか。

武宮九段の話にもありましたが依田碁聖、本因坊戦・富士通世界選手権と大きな棋戦
の連続で疲れているのでしょうか。
疲れがたまると集中力の持続がむつかしくなりますね。

私などの対局でも序盤に大石を取り、楽勝パターンのケースに失着を重ねて負けること
がよくあります。
こういう場合、こちらの心理状態としては「もう大勢は決まったから、早く投げてよ」という
気持ちです。ところが相手が時間を一杯使い粘ってくるとイライラがつのり、失着を招くん
ですね。
 → まだまだ修行が足りないということでしょうか・・・

         ◇  ◇  ◇  ◇

今回の対局地は高知市。高知市のHP「土佐の偉人」コーナーには次のような人物が載っ
ていました。

◎土佐に係わる先覚者たち
  空海、紀貫之、一条教房、長宗我部元親、山内一豊
◎幕末の群像
  吉田東洋、中浜万次郎、山内容堂、武市瑞山、坂本龍馬、吉村虎太郎、中岡慎太郎、
  後藤象二郎
◎近代日本を牽引した人々
  岩崎弥太郎、板垣退助、田中光顕、中江兆民、植木枝盛、牧野富太郎、大町桂月、
  浜口雄幸、幸徳秋水、寺田寅彦、吉田茂

この中で日本人が一番好きなのはやはり坂本龍馬(竜馬)ではないでしょうか。
テレビ・映画・本など色々なメディアで取り上げていますが、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」が
ベースになっていると思います。

私は社会人になって間もない頃「竜馬がゆく」を読み、幕末の若者達が新しい国作りに奔走
する行動力に共感したものでした。

竜馬をはぐくんだ土佐の風土・気質には、現代人が忘れてしまった大切なものがあるように
思います。


◎2004/07/03 「本因坊戦第5局、挑戦者・依田名人が2勝目」

 6/24から神奈川県平塚市で行われた本因坊決定戦七番勝負の第5局は挑戦者の
依田紀基名人が張栩(ちょうう)本因坊に先番中押し勝ちし、
対戦成績を2勝3敗とした。
第6局は7月8、9日、青森県三沢市の古牧温泉渋沢公園渋沢邸で行われる。

 強い風雨が窓外で吹き荒れた2日目の平塚市。終盤に張の追い上げにあったが、
依田が中盤のリードを守りきり、逆転に向けて貴重な2勝目を挙げた。

 カド番に追い込まれた依田にとっては、逆転の望みをつなぐ大きな1勝となった。
依田が最終局決戦に持ち込むか、張が初防衛を決めるか、第6局が注目される。

<依田名人の話>
 1日目は形勢がよくないと思っていた。上辺で黒厚くなってよくなったと思った。

<張本因坊の話>
 中央の白模様の囲い方が難しいので、難しい碁だと思っていた。白80からの上辺の
折衝がおかしかったでしょうか。

                 (毎日新聞 6月25日より抜粋)


         ◇  ◇  ◇  ◇

依田名人、カド番をしのぎ逆転の望みをつなぎました。しかし、あと一勝の張本因坊有利
は変わりません。次の第6局に注目ですね。

今回の第5局は地に辛い張本因が厚みで対抗し、攻め含みの作戦に誤算があったよう
です。
厚味の碁って、難しいですね。地の遅れをどう挽回するか、私などは焦って急襲し自滅
するケースが何と多いことか・・・

         ◇  ◇  ◇  ◇

今回の対局地は神奈川県平塚市。仙台の七夕まつりと並んで平塚の七夕まつりも有名
ですね。

また、平塚に木谷道場があったことから囲碁の町として各種のイベントが催され、全国か
ら注目されています。特に「湘南ひらつか囲碁まつり」における多面打大会は年々、規模
を拡大し、全国から毎年約6500人の参加を得ています。

平塚の土産品として「ひらつか囲碁最中」というのがあるそうです。どんな味がするのでしょ
うか?、賞味してみたいですね。


         ◇  ◇  ◇  ◇

  −潮風と花のかおる湘南のまち−

 東京からJR東海道線の普通電車で約1時間、相模川を渡ると、そこが平塚です。
 平塚は、東京から南西方向に約60km、神奈川県のほぼ中央、相模平野の南部に位置し、
約4.8kmの海岸線から西北に広がる扇形で、相模川と金目川の下流域に発達した平野と、
それを取り囲む台地と丘陵から形成されています。背後には丹沢・大山山麓が控え、西方
には富士・箱根連山を遠望できる四季温和な気候に恵まれたまちです。

                 (平塚市ホームページより )


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