●○● 天声人碁 ●○●


2004年12月

◎2004/12/31 「殺し屋:加藤、逝く」

 日本棋院理事長で囲碁九段の加藤正夫(かとう・まさお)さんが、30日午後0時33分、脳梗塞(こうそく)
と合併症のため東京都内の病院で死去した。57歳だった。

 7日に体調不良を覚え、病院で脳血管障害と判明。10日に手術を受け小康を保っていたが、容体が急
変した。

 本因坊4期(号は劔正〈けんせい〉)、名人2期のほか、十段7期、王座11期、天元4期など、タイトル
獲得・優勝回数は計47で歴代5位。通算勝ち星は1253勝(664敗)で、林海峰名誉天元に次いで歴
代2位だった。02年夏には55歳で本因坊に返り咲き、本因坊戦史上最年長記録を作った。

 福岡県生まれで、木谷実九段の内弟子を経験。激しい攻めの棋風で、相手の大石を取るのが得意だっ
たことから、「殺し屋」の異名を持っていた。弟子に梅沢由香里五段らがいる。

 元日本航空社長の利光松男氏(故人)が日本棋院理事長だった02年夏、副理事長に就いて改革路線
を支え、利光理事長が04年4月に辞任した後の6月、理事長に就任した。副理事長になって以降も対局
は続け、04年の成績は16勝21敗だった。

<小林光一九段の話>
碁も人柄も気合がよく、さわやかな兄弟子でした。100局以上対局して私が少し負け越している。正義感
が強く、理事長職でストレスがたまっていたようです。57歳の急死は信じられない。

             ----2004/12/30、朝日囲碁Webより抜粋----

         ◇  ◇  ◇

「殺し屋:加藤」が病に倒れ、帰らぬ人となってしまいました。57歳ですか、信じられません。年代や名前が
似ていることから、囲碁を覚えた頃からの加藤ファンでした。

最近発売された、加藤正夫・打碁集「攻めの構図、読みの力」という本を買い求め、時々並べては迫力ある
棋譜に感心していました。

ザル碁党ですが、弱いながらもその棋風にあこがれ真似してきました。面識はありませんが、本や囲碁雑誌
など活字上の「師匠」といってもいいでしょう。

         ◇  ◇  ◇

ここ2、3年は日本棋院の副理事長・理事長を歴任し、棋院改革の先頭に立って諸施策を行ってきました。
棋士と理事長の「2足のわらじ」が命を縮めたのでしょうか。

できれば棋士活動にに専心してもらいたいと思っていました。正義感・使命感が棋院の将来を黙ってみてい
られなかったのでしょう。

活字上の「師匠」ですが、少しでも腕を上げることと、囲碁界の発展に尽力するのが私なりの供養と思って
います。



◎2004/12/29 「新海五段、二度目の女流最強位」

 12月7日に行われた第6期女流最強戦決勝戦は、白番の新海洋子五段(46)が岡田結美子六段
(34)に12目半勝ち。第1期以来2期目の獲得。

「形勢は良くなかったらしいが、悲観しなかったのが幸いしたようです。最強位にやはり縁がある気が
します」

             ----2004/12/22、朝日囲碁Webより抜粋----

◆歴代女流最強位
1期 新海 洋子 − 矢代久美子
2期 加藤 朋子 − 青木喜久代
3期 青木喜久代 − 吉田 美香
4期 岡田結美子 − 梅沢由香里
5期 鈴木 歩  − 中沢 彩子
6期 新海 洋子 − 岡田結美子
(左が勝者)

         ◇  ◇  ◇  ◇

歴代優勝者を見ると、新旧の実力者が揃っていますね。新海五段は昭和53年の入段ですからベテラン
の域に達します。

入段当初は新進気鋭の若手女流棋士として活躍していました。その後、平成11年の「第1期女流最強
戦」優勝がありますが、あまり目立つ存在ではありません。

華やかさがポイントの女流棋士の中で、どちらかといえば地味な存在の新海五段の優勝。
地道に研鑚している人達に希望を与えてくれると思います。



◎2004/12/21 「NHK大河ドラマ『新選組』終了」

今年の大河ドラマ「新選組」の放送が終わりました。色々、評価はあるようですが私は平均点以上と
思っています。

大河ドラマの魅力の一つに歴史を知る面白さがあります。ドラマの最後に、毎回ゆかりの地を紹介して
くれるのも楽しみでした。

今回の新選組では敗者の美学のようなものが伝わってきました。「勝てば官軍」と言いますが、「勝ち組・
負け組」という画一的な価値判断には意味がないでしょう。

最近、若年層の犯罪が急増していますが、もう少し歴史に興味を持っていたら考え方も変わるのではない
でしょうか。

ドラマでは囲碁の対局シーンはあまり出てきませんが、西郷と大久保が囲碁を対局しながら近藤勇襲撃
の話をしていたような記憶があります。

徳川家康なども囲碁の対局と見せかけて、機密事項を相談していたという話もあります。
しかし、囲碁愛好者の立場からすると囲碁を政治の道具として使われるのは、あまり愉快ではありません。

囲碁は人の交流を進める文化の一つだと思っています。



◎2004/12/16 「王座戦第4局、張栩王座、山下天元下して初防衛」

 12/9(木)神戸・有馬温泉で打たれていた王座戦五番勝負の第4局、張栩王座−山下敬吾天元戦は
黒番の張栩王座が5目半勝ちを収め、通算3勝1敗で初防衛を果たした。

 今期王座戦は若手ライバル同士が激突、タイトル戦では初の「山張対決」として注目を集めたが、シリ
ーズを通して張栩王座が安定した強さを発揮。名人、本因坊と合わせて三冠を死守した。一方の山下天
元はシリーズ中に天元位を奪取、その勢いで一気に王座も狙ったが、二冠の夢はならなかった。

<張栩王座の話>
 前半うまくいったような気がしていたのですが、コウになって難しくなりました。最後のヨセも難しく、中央
の白地がもう少しあると思っていたので、細かい勝負になるかなと思っていました。
 今回のシリーズはどれも難しい碁で、運が良かったです。防衛できたのはラッキーだったと思っています。

<山下敬吾天元の話>
 今日の対局は全然ダメでした。コウになって難しくなったかなと思いましたが、コウが一段落した時には
すっかりダメになっていました。
 シリーズ全体を振り返ると、第1局がひどすぎました。

             (2004/12/9、「日経、棋界トピックス」より抜粋)

         ◇  ◇  ◇

張栩王座が防衛で本シリーズの熱戦は終わりました。
今年の張栩王座のタイトル戦は3勝1敗でした。

・3月〜4月:十段戦(王立誠十段に挑戦、1-3で獲得ならず)
・5月〜7月:本坊戦戦(依田紀基名人の挑戦を受け、4-2で防衛)
・9月〜11月:名人戦(依田紀基名人に挑戦、4-2で名人位獲得)
・10月〜12月:王座戦(山下敬吾天元の挑戦を受け、3-1で防衛)

1月には小林泉美女流名人と結婚し、最強のカップルといわれました。
しばらくは張栩三冠の時代が続くでしょうか。

         ◇  ◇  ◇

一方の山下天元は残念でした。どうも張栩三冠とは相性がよくないようです。
今年の山下天元のタイトル戦は1勝2敗でした。

・1月〜3月:棋聖戦(羽根直樹九段の挑戦を受け、3-4で失冠)
・11月〜11月:天元戦(羽根天元に挑戦、3-0で天元位獲得)
・10月〜12月:王座戦(張栩王座に挑戦、1-3で獲得ならず)

前半は不調が伝えられましたが、後半は実力を出してきたというところでしょうか。

        ◇  ◇  ◇

今回の対局地は神戸・有馬温泉の「中の坊瑞苑」。有馬温泉は太閤秀吉ゆかりの温泉場ということで、
太閤殿下の銅像や「太閤橋」、秀吉の正室、ねねの銅像や「ねね橋」などがあるそうです。

今年は温泉地での偽装事件が大きなニュースになり、「源泉掛け流し」がセールスポイントとなりました。

熱海などに代表される大きな温泉街では相当豊富な湯量が出ないと、「源泉掛け流し」は無理だと思い
ますが、実情はどうなんでしょう。



◎2004/12/08 「親善碁会(団体戦)/2004秋」


先日、私の所属する企業の囲碁部と県内東毛地区の電機メーカー囲碁部で親善碁会を行いました。
当日は地方TVや地域の新聞の取材もあり、結構にぎやかな大会となりました。

チームの成績は14勝14敗と五割をキープでき、まずまずの結果と思っています。
しかし、私個人の成績はは三連敗と悔しい結果となってしまいました。

チームの平均年齢はわがチームが40代後半、相手チームは10歳以上は上まわっているようで、どこ
も高齢化が進み対応に苦慮しています。

「ヒカルの碁」世代が社会人の囲碁部員となるのはもう少し先でしょうか。いずれにしても、ゲートボール
のように「高齢者特定」の趣味とならないようにしたいものです。

そのためには空白の20代〜40代の層が関心を持ってもらえるよう、魅力的なPRを継続していく必要が
あると思います。
あと、女性の参加も囲碁人口拡大の牽引力になりますね。


         ◇  ◇  ◇

今大会は群馬県大泉町でおこなわれました。以下、大泉町のホームページよりプロフィールを紹介。

はじめまして! 〜大泉はこういう町〜

 大泉町は昭和32年3月31日に誕生した町です。面積は17.93km2で群馬県内で2番目に 小さな町ですが、
工場も多く、町村内外より多くの人が働きに来ています。


●大泉町の位置  
 大泉町は群馬県の東南に位置し、地形は平坦で、東は邑楽町、千代田町に、西から北にかけ ては太田市
に隣接し、南は利根川をはさんで埼玉県妻沼町と対面しています。

 
●大泉町近代の歩み
 昭和13年に中島飛行機(株)小泉製作所が進出(同15年竣工)、昭和16年に太田・ 小泉飛行場が完成、
翌年中島飛行機小泉製作所が開所してから軍需都市として隆盛を極めました。


 終戦と同時に米軍の駐留するところとなり、軍需産業から基地の町となりました。昭和32年、 小泉町と大川
村が合併し、大泉町が誕生。昭和34年に米軍施設の一部が返還、翌35年首都圏
都市開発区域の指定を受
けました。以来、積極的に工業団地の造成を行ってきましたが、その後の
工業化はめざましく、電気機器・輸送
機器などを中心に、多数の優良企業が進出。年間製造品出荷額は、
常に県内で上位となっています。

 昭和32年、大泉町スタート時には約1万9千人だった人口は、昭和48年には約2万8千人、 県内町村第1位
になり、現在では4万人を超えています。また、平成に入り、外国人登録が急増し、
国際化が進行している町と
もいえます。


大泉町のシンボル木・・・ケヤキ
大泉町の花・・・サルビア、チューリップ


◎2004/12/06 「王座戦第3局、山下天元が1勝返す」

 11/29(月)東京・赤坂で打たれていた王座戦五番勝負の第3局、張栩王座−山下敬吾天元戦は
黒番の山下天元が中押し勝ちを収めた。第1局、第2局と連敗した山下天元だが、カド番で踏ん張り
今シリーズ初勝利を記録。逆転でのタイトル奪取に望みをつないだ。

これで対戦成績は張栩王座の2勝1敗となった。第4局は12月9日に神戸市で打たれる。

 張栩王座は中盤から劣勢を伝えられながらも勝負手を連発。夕食休憩も吹っ飛ばす驚異の粘りで
一時は再逆転の声も聞かれたが、最後は力尽き、ストレートでの初防衛はならなかった。

<山下敬吾天元の話>
 最初はだいぶ悪いと思っていましたが、左辺でうまくいって良くなったと思いました。ただ、そんなに
ちゃんと計算できていなかったので、はっきり勝ちだと思ってはいませんでした。

<張栩王座の話>
 左上の攻めが甘くて、ずっと悪かったです。(「終盤で逆転の可能性もあったようだが?」と聞かれ)
全然ダメでした。あまりにも悪くて、勝つチャンスは全然ありませんでした。

             (2004/11/29、「日経、棋界トピックス」より抜粋)

         ◇  ◇  ◇

山下新天元が踏ん張ってカド番をしのぎました。注目の「山張対決」、囲碁ファンとしては五番勝負まで
いってほしいと思います。

山下天元は最近、お子さんが誕生したそうです。父親になると「子供のために頑張るか」という気持ちに
なります。
気力の充実というのは自分自身の気持ちを高めるともに、外的な要因(後押し)も大きなファクターだと
思います。

         ◇  ◇  ◇

今回の対局地は東京・赤坂の赤坂プリンスホテル「弁慶橋清水」、ここは千代田区紀尾井町。
「紀尾井町」の町名は江戸時代の大名屋敷、紀伊家・尾張家・井伊家の頭文字からきているようです。

また、近くの清水谷公園は明治の元勲大久保利通の屋敷跡で、大久保(当時内務卿)は明治十一年
に紀尾井坂で暗殺されたそうです。


◎2004/12/02 「天元戦第3局、山下九段が天元奪取」

 天元戦五番勝負の第三局が11/26、広島県因島市ので打たれ、白番の挑戦者、山下敬吾九段(26)
羽根直樹天元(28)=棋聖=に中押し勝ち。三連勝で新天元位を獲得した。

 昨年に続く両者の対戦で注目された対局。昨年、フルセットの末に惜敗した山下は四連覇を
目指した羽根を下し、雪辱を晴らした。

<山下敬吾新天元の話>
 左辺で得をしながら生きることができ、よくなったと思いました。タイトル保持者に返り咲き、とりあえず
かったです。

<羽根直樹前天元(棋聖)の話>
 中央の戦いで難しくなったかと思いましたが―。三局を通じて間違いが多く、この結果は仕方ありません。

               (三社連合「天元戦HP」より抜粋)

         ◇  ◇  ◇

しばらく無冠だった山下九段が天元位戦を奪取し、国内7大タイトルは張栩・三冠(名人・本因坊・王座)、
羽根直樹・棋聖、王立誠・十段、山下敬吾・天元、依田紀基・碁聖という勢力図になりました。
張栩・三冠が日本のトップ棋士ということでしょうか。

羽根棋聖、三連敗と不調です。来年始めから棋聖戦が始まりますが挑戦者は関西棋院の精鋭・結城聡九段、
タイトル戦までにどう調整してのぞむか、苦戦が予想されます。

         ◇  ◇  ◇

今回の対局地は広島県因島市、碁聖・秀策生誕の地として有名です。今回の天元戦開催で国内7棋戦のうち
過去6棋戦が当地で開催され、残りの十段戦も誘致を進めているそうです。

因島は村上水軍の本拠地としても有名ですが、「村上」で思い起こすのは数年前亡くなったアマ囲碁界の強豪、
村上文祥さん。出身は因島で当時アマ四天王(菊池康郎、平田博則、村上文祥、原田実)と呼ばれ、その豪快
な棋風はプロも一目おく存在のようでした。


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