●○● 天声人碁 ●○●


2005年1月

◎2004/01/28 「2005/新春囲碁合宿」

先日(1/22〜1/23)、会社の囲碁クラブの新春囲碁合宿を行いました。場所は吉井町の「牛伏ドリーム
センター」で新春合宿は5年連続で7回目となります。勤務先から30分程度で行け、宿泊費もリーズナ
ブルということで利用しています。

難点は碁盤・碁石を自分達で調達しなくてはいけないということです。施設でも貸してくれるようですが、
いかにも貧弱で打ち味がイマイチなのです。
盤石を常備した囲碁ファン向けの宿泊施設がもっと増えればいいと思います。

今回の指導棋士は松原大成プロ、一年半ほど前の夏期合宿でもお願いしており二回目となります。
松原プロの昨年の成績は5割を切っており不調のようです。今年は是非がんばってもらいたいと思います。

総勢19名の大会となりましたが、メンバーの暮らし振りは以前に比べ大きく変わっています。
10年ほど前の合宿の参加者をみると、平均年齢は40代でほとんどは同じ事業所内で働くメンバーでした。
話題も共通部分が多っかたように思います。

一方、今回の参加者は当時の事業所メンバーが2割強、同じ企業グループで他事業所メンバーを加えると
5割、OBが5割という内訳となります。OBも定年退職した人、早期退職した人と様々です。
話題も多種多様で「人生いろいろ」ということでしょうか。

このように色々な境遇のメンバーがいますが、今後も「囲碁」を介して有意義な時間を共有できればと思って
います。



◎2005/01/24 「李世ドル九段が第2代世界王座に」

1月8日、名古屋市で打たれていた「トヨタ&デンソー杯第2期囲碁世界王座戦」決勝三番勝負の最終
第3局、常昊九段(中国)−李世ドル九段(韓国)戦は白番の李世ドル九段が中押し勝ちし、通算成績
2勝1敗で世界最強の座を射止めた。昨年8月に開幕した同大会は前回第1期の李昌鎬九段に続き
韓国勢2連覇で幕を閉じた。

 李世ドル九段は第1期大会では2回戦で常昊九段に中押し負けを喫しており、前回のリベンジを果たす
とともに、世界囲碁選手権・富士通杯の連覇(2002−2003年)に続く国際棋戦ビッグタイトルをつかんだ。

 一方、常昊九段は第1期に続く準優勝。2大会連続で韓国勢の厚いカベに涙を呑み、悲願の国際棋戦
優勝を逃した。

 第2期囲碁世界王座戦は昨年8月21日、世界各国・地域の代表32人が参加して開幕。日本代表は張栩
三冠、山下敬吾天元、依田紀基碁聖、小林光一九段、結城聡九段ら計10人が出場したが、準々決勝まで
で全滅。決勝は第1期同様、中韓対決となっていた。

                         [2005年1月8日 日経碁界ニュースより]


         ◇  ◇  ◇  ◇

日本主催の国際棋戦は「トヨタ&デンソー杯囲碁世界王座戦」と「世界囲碁選手権・富士通杯」の2棋戦が
ありますが、今回も日本勢は準々決勝までと不調でした。スポンサーもこれだけ負けが続くと、考えてしまい
ますね。

持ち時間の問題、他の国内棋戦との調整など色々ありますが結果としては、「日本は弱い」ということになり
ます。日本の国内棋戦のオープン化もいずれは避けて通れないと思いますが、難題ですね。

         ◇  ◇  ◇  ◇

国によって囲碁観も違うと思います。「週刊碁」のコラムで韓国出身の女流棋士・金賢貞(キム・ヒョンジョン)
さんの記事を紹介します。

     「碁は文化の鏡?!」

(前略)

10年前、来日したばかりのころ、すごく不思議に思ったことがありました。それは囲碁を打ち始める前の
「お願いします」と終わったあとの「ありがとうございました」です。

日本の皆様にしてみれば、ごく当たり前のことですが、当時の私にしてみれば、した手と打つ時もこっち
からもお願いをして、終わった後にお礼まで言うなんて不思議でした。

もちろん韓国でも会釈をしたり、うわ手に挨拶をするのが礼儀ですが、日本とは少し感じが違うと思います。
すごく大事な試合で気合が入っているのに相手にお願いをして、負けてしまったのにありがとうなんて言え
ないと思いました。

(中略)

日本では良い文化としての棋道ですが、韓国で囲碁は勝負ごとなんですね。どちらが正しいとか、良いの話
ではありませんが、こういう発想が囲碁の棋風にも出ている気がして「囲碁はすごい!」って改めて感動しま
した。だって、その人はもちろん、その国の個性までが出てしまうんですよ。やっぱり奥が深い!

皆様も一度日本と韓国の棋風の違いを探しながら並べてみてください。皆さんの新たな棋風を見つけ出すこと
ができるかも知れません。



◎2005/01/19 「地域の囲碁大会」

先日、地域の新春囲碁大会に参加してきました。この大会には15年ほど前から3〜4回参加しており、
今回の参加者は25名くらいで、知っている人は5〜6名でした。

感想としてはあまり盛り上がった大会とはいえませんでした。大会運営も整然と行われたとはいいがたく、
参加者もイマイチという感じではなかったでしょうか。

以前の方が活気があったように思いますが、高齢化により大会役員・組織も弱体化したのでしょうか。
こういった地域のグループ運営は役員の熱意次第でしょうね。

囲碁愛好者は色々なグループ・団体で楽しんでいると思いますが、自分のなじんだところ(ホームグランド)
があるように思います。その中では仲間という意識があり、気兼ねなく楽しめると思います。

ただ、そのホームグランドの維持は結構大変なものです。周囲の変化に合わせて活性化していかないと
沈没してしまいます。

囲碁界における昨今の大きな変化はネット対局でしょう。ただ仲間とのコミュニケーションという意味では、
実際に盤をはさんで対局するのが一番だと思います。



◎2005/01/17 「棋聖戦第1局/羽根棋聖が先勝」

 第29期棋聖戦七番勝負、羽根直樹棋聖(28)と挑戦者・結城聡九段(32)の第1局は1月12日から
新潟市で行われていたが、白番の羽根が中押し勝ちした。
 第2局は26、27日、鳥取県湯梨浜町で行われる。

 中盤、結城は白を封鎖して主導権を握ったが、白がしのぎの好手。さらに下辺を生きて優勢になった。

 解説の小林覚九段は「両者の気合がぶつかった好局だが、羽根棋聖の冷静さが勝因といえるだろう」と
話している。

<羽根棋聖の話>
下辺に封じ込められて苦しかったが、開き直って何とか勝機が見えた。

<結城九段の話>
途中から乱れてまずい碁になってしまった。次はしっかり打ちたい。

            (2005/1/13 読売新聞より抜粋)

         ◇  ◇  ◇  ◇

不調を伝えられた羽根棋聖が乱戦を制し、第1局を勝利で飾りました。132手と短手数でしたが難解な
局面の連続で、ねじり合いの展開のようでした。

羽根棋聖の碁はバランス重視で終盤まで息の長い碁というイメージですが、本局は結城九段の強襲に
真っ向勝負で戦い抜いた一局といえそうです。

結城九段、今回は和服での対局でした。和服に坊主頭で江戸時代の棋士のようですね。一方の羽根
棋聖はいつものように明るい色のスーツ、このミスマッチが何とも面白いですね。

         ◇  ◇  ◇  ◇

今回の対局地は新潟市。関東からはずいぶん便利になりましたが、羽根棋聖の名古屋、結城九段の
関西からは結構大変でしょうね。

最近、新潟県といえば「中越地震」ですね。新潟市の方は被害が少なかったようですが山間部は大変の
ようでした。

1月17日は「阪神・淡路大震災」、もう10年前になるんですね。結城九段は前夜祭の挨拶で
「私も十年前、神戸で阪神淡路大震災を経験しました。もし、私が少しでもお役に立てることがあるとすれ
ば、いい碁を打つことだと思っています」
とスピーチされたそうです。

全力で碁盤に向っている姿は感動を呼びます。これは棋士だけでなくすべての人にいえることですね。



◎2005/01/11 「第29期棋聖戦/名阪対決」

2005年初頭を飾るビッグタイトル/棋聖戦七番勝負第1局が1月12日(水)から新潟市で開催され
ます。
羽根直樹棋聖(日本棋院/中部総本部)に挑戦するのは結城聡九段(関西棋院)。タイトル戦として
は珍しい「名阪対決」となりました。

羽根棋聖の昨年の成績は19勝25敗で、天元位も失い絶不調の状態です。一方の結城九段は42勝
15敗と絶好調、棋聖リーグを勝ち抜いた勢いがあります。

両者の対戦成績は羽根棋聖の3勝1敗と意外に少なく、あまり参考にはならないようです。
予想としては昨年の調子からみて、結城九段が有利といえそうですがどうでしょうか?。

先日の「NHK杯囲碁トーナメント戦」では結城九段が小林光一九段を破りました。中盤では形勢不明
で「投げやりな着手」が見られましたが、仲間内ではあの「投げやりな着手にだまされてはいけない」と
いうことらしいです。

坊主頭の時が多く若い頃、藤沢秀行さんの合宿では「少林寺」と呼ばれていたそうです。
TVの解説では丁寧な解説で余分なことはいわない生真面目なタイプの感じですが、対局姿勢を見ると
精悍な雰囲気で、今は亡き若い頃の「殺し屋加藤」を彷彿させます。

関西棋院の期待を一身に背負う結城挑戦者を迎え、中部の雄羽根棋聖がどう戦うか、熱戦が期待され
ます。



◎2005/01/07 「加藤正夫九段を偲ぶ」

もう10年ほど前になりますが「NECカップ囲碁トーナメント」が前橋市で開催され、見にいきました。
この大会は日本の各地で行われる公開対局で、この時の対局者は加藤正夫九段と中野寛也九段
の対戦でした。

結果は加藤九段の勝ちでしたが、局後の解説では中野九段の健闘をたたえておりました。朴訥な語り
口で派手さはありませんが、本当に碁が好きな印象でした。

         ◇  ◇  ◇

昭和40年代、石田芳夫、加藤正夫、武宮正樹を「木谷門三羽烏」と呼んでいました。

石田九段は若くして名人・本因坊の座につき一時代を築きマスコミの間でも注目を浴びましたが、
30歳を超えてからは往時の勢いはなくなりました。
棋戦の方での輝きは薄れましたが、TVの解説、タイトル戦の立合い、アマ向けの囲碁教室などで
活躍しています。

武宮九段は年齢では少し若いですが十傑戦など十代から注目され、宇宙流など華麗な棋風で人気
を集めてきました。
人柄もおおらかで誰とでも明るく話す姿は、囲碁界では貴重な存在といえます。

そして加藤九段、石田、武宮に較べ遅咲きでしたが、30歳前後から現在まで常に第一線で活躍し、
通算勝ち星数は林海峰九段につづき歴代2位だそうです。

兄弟子の大竹英雄九段は加藤九段を「我慢強さや頑固さは師匠の木谷実九段に一番よく似た弟子」
といっています。

         ◇  ◇  ◇

■日経碁界ニュースより
<石田芳夫九段の話>
 同じ木谷実九段門下で修業し、40年余りのつきあいだが、本当にいい人間を失ったという思いだ。
囲碁界全体がもっとしっかりして穴をうめていかなければいけないだろう。数日前、彼が元気になった
夢を見たばかりで、訃報(ふほう)がいまだに信じられない。

■産経囲碁Webより
<武宮正樹九段の話>
 きっと回復して元気になってくれると思っていたのに、がっかりしています。忙しすぎたのに無理を
したんだと思う。責任感、正義感の強さが裏目に出てしまって…。まだまだ手合いでも頑張っていたの
に残念です。

<藤沢秀行名誉棋聖の話>
 まだこれからというときに本当に惜しい。手合い(対局)もやっていたし、やはり過労がたたったのでは
ないか。理事長としても棋士としてもまだまだ活躍してもらいたかったのに…。五十七歳じゃ早いよ。

<日本将棋連盟の米長邦雄永世棋聖の話>
 加藤さんは日本棋院の改革に乗り出した本当の親友だった。日本文化の囲碁と将棋を教育に取り入れ
たいと、力を合わせて来春開校の都立高校用のテキストを作る途上だっただけに残念です。



◎2005/01/03 「2005年、新年打ち初め碁会」

本日、私の所属する囲碁クラブのメンバー7名が碁会所に集まり、「新年打ち初め碁会」を行ました。
もう何年も一緒に楽しんでいますが、棋力の方はほとんどのメンバーが現状維持で精一杯という感じ
でしょうか。

趣味の碁ですから楽しめればいいのですが、目標に対する達成感も趣味として重要な要素であること
は間違いないと思います。

私の場合ネット碁の対局が多いのですが、残念ながらこの一年で半目程度ポイントを下げているのが
実情です。

昨年、年頭の抱負として「棋譜を並べる」、「一局入魂」を掲げていました。しかし、棋譜の研究などは
囲碁時間の数パーセントでしたし、負けると「もう一番」とムキになって打っており、年頭の抱負はどこ
かにいってしまいました。

反省ばかりで情けないですが、今年も「棋譜並べ」と「一局入魂」を掲げ棋力向上を果たしたいと思い
ます。


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