●○● 天声人碁 ●○●


2005年5月

◎2005/05/31 「世界アマチュア囲碁選手権戦」

 名古屋市の愛知県体育館で史上最多の65カ国・地域の代表選手が参加して5月24日
から開かれていた第26回JAL杯世界アマチュア囲碁選手権戦は27日、中国の胡U清
選手(24)が8戦全勝で初優勝し、閉幕した。

中国勢の優勝は15回目。準優勝は北朝鮮のジョ・タイウォン選手(17)、3位は台湾の余
承叡選手(21)。日本の菊池康郎選手(75)は6位だった。

                 (朝日新聞より抜粋)

         ◇  ◇  ◇  ◇

アマの国際戦も日本の旗色がかんばしくないようです。日本代表の菊池さんは善戦むなしく
6位でした。

上位選手の年代は10代後半から20代が中心のなかで、菊池さんの75歳は驚きとしかいい
ようがありません。

         ◇  ◇  ◇  ◇

先日、アマ十傑戦の県大会が行なわれました。参加者は75名とほぼ例年通りといったところ
でしょうか。

決勝は常連の対決で優勝は66歳、準優勝は55歳と実力者の年代は他の競技に比べると著し
く高いといえます。
それでも今回は16歳以下の選手がが8人と、少しづつ増加傾向にあるようです。

いずれにしても10代〜70代が同じ土俵で対戦できる競技はそんなにありません。
世代間のコミュニケーションの手段として、囲碁が貢献できることを願ってやみません。



◎2005/05/24 「2005/県高校囲碁選手権」

今年の県高校囲碁選手権、参加者は前年より少し減ったようです。「ヒカルの碁」の勢いが
一段落ということでしょうか。ただし、選手の棋力は着実に伸びているようです。

何事にもいえることですが、ブームの後も継続している人は本物だと思います。今回参加して
いる高校生が囲碁を一生のパートナーとして、付き合っていくことを願う次第です。

         ◇  ◇  ◇  ◇

私自身の高校時代(昭和30年代後半)を振り返ると、囲碁とは無縁で同世代でも囲碁をやっ
ている人は皆無でした。
親父は近所のおじさん達と時々打っており、囲碁は大人の遊びの一つのような印象でした。

         ◇  ◇  ◇  ◇

その頃の囲碁界は本因坊7連覇の「坂田栄男」全盛の時代で、時々ニュースでその名前を
聞いたように思います。

もちろん国際棋戦などもなく、囲碁は日本だけの文化(趣味)と思っていました。
それが今では韓国、中国、台湾などに拡がり、国際棋戦では韓国に追い越される時代となり
ました。

国際棋戦でタイトルを奪われるのは残念ですが、囲碁が世界に広がったことは喜ばしいこと
だと思います。
その発展に日本の囲碁界が貢献したことは、もっと讃えられていいと思います。



◎2005/05/18 「本因坊戦第1局/高尾八段、先勝」

 5月9日から福岡県太宰府市の太宰府天満宮で行われた第60期本因坊決定戦七番
勝負の第1局は、挑戦者の高尾紳路八段が張栩本因坊に白番中押し勝ちし、先勝した。
第2局は26、27日、鳥取県湯梨浜町の望湖楼で行われる。

 本因坊戦七番勝負では23期ぶりとなる20代対決らしく、両雄の若さがぶつかった
大熱戦。一時は苦しい形勢かと思われた高尾が勝負手を成功させて勝負に持ち込み、
張の反撃を断ち切って幸先のよい1勝を挙げた。

<高尾八段の話>
 1日目はいい勝負かと思っていたが、中央の黒を取りかけに行くつもりがうまくいかな
かった。上辺の黒を攻めに回って難しくなったかと思ったが、最後にコウを解消して勝っ
たと思った。夢中で打っていたが1勝できてうれしい。

<張本因坊の話>
 布石に問題があったようで、踏み込まなければいけないと思った。大石が中央へ脱出
できて少し形勢がいいかと思ったが、もっと頑張らなくてはいけなかった。その後は追い
上げたが、ちょっとダメでしょう。次の対局でまた頑張ります。

                 (毎日新聞より抜粋)

         ◇  ◇  ◇  ◇

いよいよ本因坊戦7番勝負がはじまりました。
今回、張栩本因坊に挑戦するのは高尾紳路八段。数年前、若手四天王(羽根、張、山下、
高尾)と呼ばれていた時期がありましたが、他の三人に比べるとタイトル戦では遅れをとっ
ていました。

本因坊リーグ戦では最終戦で趙善津九段に破れましたが、プレーオフで同じ趙善津九段を
倒し挑戦者に名乗りをあげました。

第1局は高尾八段の先勝という結果となりましが、どちらが本因坊戦を制するか楽しみなシ
リーズです。

         ◇  ◇  ◇  ◇

今回の対局地は福岡県太宰府市の太宰府天満宮。タイトル戦はホテルや旅館が多いので
すが、時おり寺社での対局もあります。

太宰府天満宮の祭神は菅原道真公、学問の神様として有名で「天神さま」とも呼ばれてい
ます。

また、梅の花も有名ですね。
「東風《こち》吹かばにほひをこせよ梅の花 主《あるじ》なしとて春を忘るな」

もう三十年近くも前でしょうか、大宰府を訪れたことがあります。にぎやかな門前通りと、
たくさんの絵馬があったことがかすかに思い出されます。



◎2005/05/12 「CSK杯アジア囲碁対抗戦/韓国が2度目の優勝」

 囲碁の団体戦、第4回CSK杯囲碁アジア対抗戦は最終日の5月3日、3回戦計10局が韓
国・ソウルで打たれ、韓国が3年ぶり2回目の優勝を決めた。日本は台湾を下し2勝1敗でリ
ーグ戦を終えたものの、主将の勝ち数で韓国に及ばず、最終結果は2位にとどまった。
 韓国の2連勝で迎えた最終日は韓国―中国、日本―台湾の組み合わせ。韓国は昨年覇者
の中国を相手に李昌鎬九段、朴永訓九段、金成龍九段の3人が敗れて初黒星を喫し、2勝1
敗でリーグ戦を終了した。

 日本は台湾チームを5―0で圧倒、最終成績を2勝1敗とした。台湾チームは3戦全敗となり、
個人成績でもわずか2勝に終わった。

 この結果、リーグ戦の最終成績で日本・韓国・中国が2勝1敗でタイとなった。このうち日本
と韓国の個人成績が10勝で並んだものの、主将の勝ち数の比較で韓国の3勝に対し日本が
2勝にとどまったため、規定により韓国の優勝が決まった。

 韓国の優勝は第1回大会以来3年ぶり。日本は前年度の大会で最下位に終わり、今回は2
年ぶりの優勝を期して臨んだものの、大会制覇はならなかった。

国別成績 日本 中国 韓国 台湾 勝ち点 勝数 順位
日本 ―― ○4−1 ●1−4 ○5−0 2 10 2位
中国 ●1−4 ―― ○3−2 ○4−1 2 8 3位
韓国 ○4−1 ●2−3 ―― ○4−1 2 10 優勝
台湾 ●0−5 ●1−4 ●1−4 ―― 0 2 4位

  [日本] 羽根直樹九段 山下敬吾九段 依田紀基九段 結城聡九段 高尾紳路八段
  [韓国] 李昌鎬九段 金成龍九段 李世ドル九段 崔哲瀚九段 朴永訓九段
  [中国] 古力七段 孔傑七段 周鶴洋九段 胡耀宇七段 王磊八段
  [中華台北] 林海峰九段 王立誠九段 王銘エン九段 張栩九段 周俊勲九段

                             (日経e碁サロンより抜粋)

         ◇  ◇  ◇  ◇

日本チームは惜しくも2位という結果になりましたが、善戦したと思います。また、オリンピックでは
ないですが、勝負もさることながら「友好」という意味でも意義ある大会だと思います。

台湾チームの4人は日本棋院の棋士ですが、母国の代表として出場するのはこの大会くらいでしょう。
中国と台湾、微妙な関係が続いていますが、民族の垣根は本当に難しい問題ですね。



◎2005/05/10 「張名人、囲碁国際戦LG杯で初優勝」

 韓国の囲碁国際戦・第9回LG杯世界棋王戦の決勝五番勝負第4局は4月20日、ソウ
ルの韓国棋院で打たれ、日本の張栩(ちょう・う)名人(25)が中国の兪斌(ユイ・ビン)
九段(38)に白番2目半勝ちし、通算3勝1敗で初優勝した。

 第1、2局は3月下旬に上海で、第3局からソウルで対局。張名人は第1局は敗れたが
第2局から3連勝。日本勢の囲碁国際戦優勝は03年12月、韓国の三星火災杯で優勝し
た趙治勲25世本因坊(48)以来。

                   (朝日新聞囲碁Webより抜粋)


         ◇  ◇  ◇  ◇

張栩名人・本因坊の奮闘で久しぶりに国際棋戦のタイトルが日本にもどってきました。

4月11日に行なわれた「世界囲碁選手権・富士通杯」で、ベスト8に残ったのは王銘エン
九段一人のみと厳しい結果でしたので、このLG杯優勝は朗報でした。

         ◇  ◇  ◇  ◇

国際棋戦で日本が不調の要因として、日本の棋士は中韓に較べ努力が足りない、甘えて
いる、という意見があります。
確かにそういう一面はあると思いますが、それが異常とは思えません。

日本の棋士は40代、50代でも第一線で活躍していますが、中韓の棋士は10代、20代が
主役です。
選手生命が長いということは日本囲碁界の誇りではないでしょうか。



◎2005/05/06 「十段戦第5局/趙治勲、16期ぶりの十段位」

 王立誠十段(46)に趙治勲二十五世本因坊(48)が挑戦していた「第43期十段位決定
五番勝負」
の第五局は4月27日、東京都千代田区の日本棋院で行われ黒番の趙が5
目半勝ちし、対戦成績
を3勝2敗として十段位奪取を果たした。

 第一局の半目勝ちの後、連敗してカド番に追い込まれたが、不屈の闘志で巻き返した。

《「だめかと思った」5連覇阻止の趙》

 平成14年秋に王座を失って以来、無冠だった趙治勲二十五世本因坊が王立誠十段を
破り、16期ぶり
に十段位に返り咲いた。

赤ら顔の趙は終局直後のインタビューに「第三局で負けたんであきらめムードだった。
第四局でよくなって…素直にうれしい」と喜びをかみしめた。

 「きょうの碁は全然だめかと思った」と趙は振り返った。中央で白74と抜かれて劣勢に
陥った。しかし、
王が攻めのタイミングを失い、久しぶりの栄冠をつかんだ。

 過去、タイトル戦で幾多の名勝負を繰り広げてきた両雄。王は五連覇で初の名誉十段
をかけていた。
約2年半ぶりのタイトル戦登場となった趙にとって、王はかつて棋聖五連
覇を阻止された因縁の宿敵で
もあった。趙は広島・因島での第一局(3月3日)の前夜祭
で「今度は私が王さんの五連覇を阻止します。
王さん、覚悟」とユーモアを交えながらも闘
志をあらわにした。


 第一局を半目で拾って「ラッキーだった」という趙。毎局、午前中から惜しげもなく時間を
使って、髪
をかきむしりながら苦渋の表情で読みにふける。午後三時を過ぎると早くも秒
読みになるのが常だった。
第三局を「うっかりして」負けたが、第四局で快勝、第五局で
決着をつけた。


 敗れた王は「相手の方が強かったということです」と無念さを表した。

                              (産経囲碁Webより抜粋)

         ◇  ◇  ◇  ◇

趙治勲さん、気迫の戦いで十段位を奪取したようで、おめでとうございます。。48歳といえ
ば体力的には下り坂ですが趙さんの闘志を見ていると年齢を忘させる迫力を感じます。

一方の王立誠さん、名誉十段がかかっていた大一番に敗れ悔しい気持ちで一杯でしょう。
ひどい花粉症に悩まされ、万全の体調ではなかったようですがこれから他の棋戦でがんば
ってほしいと思います。

今回の十段戦、熟年世代の対決となりましたが内容は激しい戦いの連続でした。
今後も両雄の熱き戦いを期待したいと思います。

         ◇  ◇  ◇  ◇

今回の対局地は日本棋院。対局は両者の希望で椅子対局になったようです。
趙治勲新十段は過去、交通事故に巻き込まれた後遺症の影響があり、日本棋院ではいつ
も椅子対局のようです。

私も最近、膝の具合が万全ではなく椅子の方が楽かなと思いますが、和室での囲碁風景
も捨てがたいものがありますね。


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