●○● 天声人碁 ●○●


2005年7月


◎2005/07/27 「第5回県民囲碁大会2005」

先日、群馬県の「県民囲碁大会」が行なわれ、実行委員として大会の準備・サポートをして
きました。参加人数は県内の囲碁団体から130名とまずまずの参加人員でした。

参加者の年齢構成をみると高校生以下が3割くらいでしょうか。3年ほど前の大会では1割
程度でしたので、かなり若い人が増えた印象です。

一方、20代〜40代の壮年層はほとんど見当たらず、空白の囲碁世代ということでしょうか。
(小中学生の保護者としては結構いたが・・・)

         ◇  ◇  ◇  ◇

この大会は日本棋院の県支部連合会の役員が中心に運営していますが、平均年齢は60歳
代半ばといったところでしょうか。
盤石の運搬・設営など体力が必要な作業もあり、スタッフの体制としては心もとない状況です。
組織の若返りが必要と思いますが、積極的にやろうという人が見当たらないのが現実です。

今の役員のほとんどは高段者に近い人ですが、囲碁の実力と団体を運営する能力は別物で
あり、広い視野で人材を求める必要があると思います。

一時、日本棋院の組織が弱体という議論がありましたが、同様のことがいえるようです。



◎2005/07/22 「碁聖戦第1・2局/依田碁聖が2連勝」

◆第2局
 囲碁の依田紀基碁聖(39)に結城聡九段(33)が挑戦している第30期碁聖戦五番勝負
の第2局は7月15日、石川県野々市町の「文化会館フォルテ」で行われ、依田碁聖が白番
中押し勝ちし2連勝、防衛にあと1勝とした。

<依田紀基碁聖の話>
 下辺黒への仕掛けはうまくいく自信はなかったが(結果的には)左下黒へのシメツケが利
いて、形勢がよくなった。

<結城聡九段の話>
 下辺のサバキは何とでもなると思っていたが、一番まずい手を選んでしまいました。

◆第1局
 第30期碁聖戦五番勝負の第1局は7月7日、広島県福山市で行われ、依田碁聖が黒番
中押し勝ちし、防衛に向けて好スタートを切った。

<依田紀基碁聖の話>
 打ったことのない手(7手目のツケ)を打ってみたかった。途中のフリカワリ辺りでは(形勢
は)難しいかなと思った。

<結城聡九段の話>
 いまひとつの碁だった。左辺で反発してみたが、無理だったかもしれません。(本局は)まず
過ぎました。

                   (「日経 e-碁サロン」より抜粋)


         ◇  ◇  ◇  ◇

依田紀基碁聖にとっては唯一のタイトル「碁聖」、好調とはいえない本年ですが本棋戦では
2連勝し、防衛に王手をかけました。

依田碁聖というと和服姿が目に浮かびます。堂々とした体躯に明るめの和服、よく似合って
いると思います。

一方、挑戦者の結城聡九段。棋聖戦では羽根棋聖をあと一歩まで追い詰めながらタイトル
奪取を逸しました。しかし、その後の棋戦では驚異的な勝率をあげ、碁聖戦挑戦者に名乗り
をあげました。
好調が伝えられる結城九段としては予想外の2連敗、相性が悪いのでしょうか。

         ◇  ◇  ◇  ◇

第2局の開催地は石川県野々市町。毎年この碁聖戦が開催されているようです。
あまり知名度のない野々市町ですが、定期的に囲碁のタイトル戦がおこなわれることにより
囲碁への関心もふくらむのではないでしょうか。

結城九段は鉄道に詳しく、タイトル戦の移動はほとんど鉄道路線だそうです。第2局は石川県
ですので関西在住の結城九段は北陸本線でしょうか。「特急:サンダーバード」、「特急:雷鳥」、
「寝台特急:日本海」などがあります。鉄道には車や飛行機にはないロマンが感じられますね。

         ◇  ◇  ◇  ◇

第1局の開催地は広島県福山市。位置的には広島県の東側で岡山県に隣接し、人口42万人
で中国地方4番目の都市だそうです。

昭和40年代には日本最大級の製鉄所(旧日本鋼管)が操業し、重工業で発展。また、「ばらの
まち福山」として有名で、ばらをテーマにしたイベントやまちづくりが進められているようです。

特産品としては「下駄」(全国生産の約60%を生産)、「琴」(全国の約7割を生産)が有名だそう
です。



◎2005/07/20 「2005/夏期囲碁合宿」

先日(7/9〜7/10)、私が役員をしている囲碁部の夏期合宿を開催しました。
今回の参加者は17名で高崎周辺からは7名、あとは東京、山梨、長野からの参加でした。
場所は埼玉県小鹿野町の「越後屋旅館」、私自身としては3回目となります。

今回の指導棋士は田原靖史六段、小島高穂九段門下で昨夏の杉本明七段と同門になりま
す。棋譜解説や指導対局は深夜におよび、本人曰く「こんな過酷な合宿は初めてだ」とのこと
でした。
今年は不調とのことですが部員一同応援していますので、棋戦や普及で益々活躍していただ
きたいと思います。

         ◇  ◇  ◇  ◇

年2回のこの合宿も15年近くになるでしょうか。最初は公営宿舎や民宿を利用し、5、6千円
程度で開催してきました。
当時は別の対局室もなく、宿泊する狭い部屋で明け方まで打っていました。

最近は宿泊施設もよくなり対局部屋も別に用意し、快適になりました。
でも、囲碁に対する情熱は以前の方がまさっていたように思います。



◎2005/07/18 「地獄谷温泉/新布石発祥の地」

1カ月ほど前、妻の親・兄弟と旅行で湯田中温泉に行ってきました。松代の武家屋敷、小布施
の北斎館、善光寺、別所温泉周辺の名刹などを巡ってきました。

湯田中温泉で泊まった翌朝、かねてから訪れてみたいと思っていた地獄谷温泉にある「新布石
発祥の地」記念碑を見にいきました。

この記念碑は2003年の10月に地元の関係者や日本棋院の棋士などの寄付で建てられたそ
うです。

記念碑の表側は「新布石発祥の地」、裏側には

「一九三三年(昭和八)夏 ここ信州地獄谷温泉において
木谷實(当時五段・二十五歳)・呉清源(当時五段・二十歳)
の両師が囲碁の新布石法の研究に没頭した 帰京後両師は
新戦法を駆使し 赫々たる成果を挙げたことにより 新布石
法は一世を風靡し昭和囲碁史の大きな一ページを飾ったそ
の精神は脈々と今日まで伝えられ 現代囲碁の発展に多大な
貢献をしている 両師の功績を永く留めるため 囲碁を愛す
る者広く志を寄せ 記念の石碑を建立する
二〇〇三年十月十二日」

とありました。

当時、この地獄谷温泉・後楽館の娘さんが後に木谷師と結婚し、夫妻で木谷道場を切り盛り
することになります。

この後楽館の奥に猿が温泉に入るという野猿公苑がありますが、早朝のためか猿は見当たり
ませんでした。

この新布石法、研究してみたいと思いますが碁盤に向かう気力が衰えて・・・ 
情けないですね。

     ◇  ◇  ◇




◎2005/07/12 「少年少女囲碁大会/2005」

今年の県大会出場者は112人、参加者数は昨年とほぼ同数でした。入門者対象の13路盤
対局が増えていたようです。

この大会は小中学生が対象で、「県代表選抜戦(小学生・中学生の各2名選抜)」と「段級位
認定大会」で構成されています。

選抜戦では各種大会で活躍している選手が順当に勝ち進み、代表権を獲得しました。

中学生の部決勝では中1、中2の兄弟が対決し弟が優勝しました。この兄弟には小3の弟が
おり1級で出場していましたが今後、二人の兄同様に代表クラスに成長すると思われます。

小学生の部では院生を目ざしている小4の少女が優勝しました。全国大会では上位入賞を果
たしてもらいたいと思います。

         ◇  ◇  ◇  ◇

参加者の傾向としては中学生が減少しているようです。中学にあがるとクラブ活動で忙しくな
り、囲碁から遠ざかる人も多いようです。

現在、中学校で囲碁部のある学校はほとんどないと思われます。今後はクラブ活動の一つとし
て囲碁部を創設していただき、囲碁を活性化してもらえると有難いのですが・・・



◎2005/07/04 「本因坊戦第5局/高尾八段が勝って初のタイトル」

 高尾紳路八段(28)が初めて本因坊に就いた。

 6月27日から埼玉県秩父市の美やま温泉で行われた第60期本因坊決定戦七番勝負の
第5局は挑戦者の高尾八段が張栩(ちょうう)本因坊(25)に白番半目勝ちし、4勝1敗で本
因坊を獲得した。これが初のタイトルになる高尾は、史上14人目の実力制本因坊にあたる。
張の連覇は2で止まった。

 【高尾新本因坊の略歴】千葉市出身。藤沢秀行名誉棋聖に師事、91年初段になってプロ
入り。以降順調に昇段し、02年八段。96年新人王戦優勝など優勝6回。タイトル戦では03
年十段戦で挑戦者になったが、王立誠十段(当時)に敗れた。本因坊戦では今期初めてリー
グに入り、初挑戦で栄冠を獲得した。本因坊獲得により九段に昇段する。

<高尾新本因坊の話>
 1勝すれば上出来と思っていたので、3連勝した時点でも勝てるとは思っていませんでした。
(初のタイトル獲得だが)まだ実力が足りないので、勉強し直します。

<張本因坊の話>
 完敗でした。苦しい場面が多かったので、負けて当然です。ひどいミスが多かった。それも
実力のうちです。

                 (毎日新聞より抜粋)

         ◇  ◇  ◇  ◇

高尾新本因坊の誕生ですね。第5局は半目勝ちということできわどい勝負でした。
若手四天王(羽根、張、山下、高尾)と呼ばれていましたが、高尾新本因坊のみ7大タイトル
には恵まれませんでした。これで四天王の揃い踏みですね。

一方の張名人、国際棋戦での対局も多く疲労が蓄積していたのではないかと推察します。
お疲れさまでした。

これで国内の7大タイトルは下記のようになります。

★棋聖:羽根直樹(28)
★名人:張栩(25)
★本因坊:高尾紳路(28)
★十段:趙治勲(49)
★天元:山下敬吾(26)
★王座:張栩(25)
★碁聖:依田紀基(39)

群雄割拠の囲碁界ですね。

         ◇  ◇  ◇  ◇

今回の対局地は埼玉県秩父市。周囲を山々に囲まれて自然は豊か、歴史・文化も独自の
伝統を残しており個性ある地域だと思います。

何度か秩父には行ったことがあります。20代の頃「秩父札所34カ所」の何ヶ所かを訪れ、素
朴な寺院のたたずまいに、心休まる思いをしたことが記憶に残っています。

         ◇  ◇  ◇  ◇

秩父ってどんなとこ? (秩父市ホームページより抜粋)

 秩父が歴史上有名になったのは、和銅を元明天皇に献上したときからです。武家時代に入
ると、秩父氏、武蔵七党の武士団が中央で名をはせました。一方で、鎌倉仏教の信仰が広ま
り、日本百番観音に数えられる秩父札所34カ所が成立しました。

 江戸時代には、木材や絹織物の産業が盛んになり、現在でも秩父銘仙や秩父つむぎが有名
です。近世に至るまで、織物は、秩父の産業の中心をなし、明治17年の「秩父事件」も絹の大
暴落と当時の自由民権運動とが引き金となり起きたものです。

 20世紀に入ると武甲山から石灰岩の採掘が始まり、セメント産業も発達しました。また、秩父
には、スギ・ヒノキ・ブナ・竹などの豊富な天然木材があり、これらを活かした工芸品が地場産品
として生み出されています。また、近年では、電子産業が発達し、新たな地場産業として成長し
ています。

 東京から電車で1時間半という交通至便なリゾート地・観光地として訪れる人も多く、特に、羊山
公園の芝桜・12月に行われる秩父夜祭には、全国から多くの観光客が集まってきます。他にも、
札所34ヶ所観音めぐりやSLの運行など、特色ある観光資源が豊富に存在します。


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