●○● 天声人碁 ●○●


2005年8月


◎2005/08/29 「名人戦挑戦者に小林覚九段」

第30期囲碁名人戦七番勝負の挑戦者は小林覚九段(46)に決まった。小林九段の名人
挑戦は初めて。張栩名人(25)との七番勝負第1局は9月7、8の両日、神奈川県平塚市
で打たれる。

 8月8日、東京の日本棋院で打たれた挑戦者決定リーグ戦の同率決戦(7勝1敗同士)で、
小林九段は山下敬吾天元(26)に白番1目半勝ちした。

                     
   (2005/08/08 朝日新聞より抜粋)

         ◇  ◇  ◇  ◇

小林覚九段は昨年あたりから好調を維持し、今期名人リーグではトップを走っていましたが
後半、山下天元に追いつかれプレーオフとなりました。プレーオフでは苦戦の末に勝利し、
名人挑戦権を手中にしました。

小林覚九段jは10年ほど前に、棋聖、碁聖、NHK杯などのタイトルを保持しトップ棋士の仲間
入りを果たしました。その後、勝星・勝率などでは上位にいながらタイトルには遠ざかってい
ます。

一方の山下天元、一昨年の名人戦では挑戦者になりましたが、当時の依田名人に1−4で
敗れました。今期、再挑戦をめざしましたが小林覚九段の前に惜しくも敗れ去りました。

         ◇  ◇  ◇  ◇

小林覚九段は若い頃、片岡聡、山城宏、王立誠とで若手四天王と呼ばれ、趙(治勲)・小林
(光一)時代の次を担う世代と期待されていました。

現在の若手四天王といえば羽根棋聖、高尾本因坊、山下天元、張栩名人・王座ですが今回
の名人戦では新旧の四天王世代の対決となります。

小林覚九段は46歳ですが、もう孫が生まれて「おじいちゃん」になっています。小林九段の
娘さんと孔令文四段が結婚し子供が生まれているからです。

若手の旗頭である張栩名人と円熟の境地といえる挑戦者・小林覚九段。
9月7日からの名人戦七番勝負、どんな戦いになるか楽しみです。



◎2005/08/22 「2005/8月連休」

今年の連休は8/13〜8/21の9日間でした。
会社に2日間出て、ハイキングに1日。あとは図書館に出かけたり、ネット碁を楽しんだり
ということで省エネの日々でした。

ハイキングは日光の男体山に行ってきました。ガイドブックで登り2時間40分のところを
3時間10分と30分ほどオーバーでしたが、中高年のグループとしてはまずまずといった
ところでしょうか。
しかし、行ってからもう5日ほどになりますがまだ足が痛くて苦労しています。やはり年齢
のせいでしょうか。

囲碁の方も年齢のせいか粘りがなくなり、勝負に淡白になってきているのが気がかりです。
囲碁は「脳の格闘技」といった人がいますが、能力100パーセント出し切って戦いたいもの
だと思っています。
気持ちはそのつもりなんですが、いざ実戦となると・・・



◎2005/08/15 「太平洋戦争中の囲碁界」

囲碁の歴史/昭和の碁

■ 太平洋戦争
昭和16年(1941)、真珠湾攻撃で太平洋戦争がはじまると、棋士達は全国各地へ慰問の
ため巡業に回ります。

戦時中も本因坊戦や十番碁など続行されますが、昭和19年(1944年)には囲碁雑誌が休
刊になり、空襲を受ける頃には碁を打つどころの状況ではなくなってしまいました。

昭和20年5月25日、日本棋院会館が戦災で焼失し、棋具や記録など失ってしまいます。

■ 本因坊戦被爆
戦時状況下でも第3期本因坊戦は続けられました。
橋本昭宇(はしもとしょうう)(=宇太郎)本因坊と挑戦者岩本薫(いわもとかおる)の対局は、
昭和20年(1945)7月、第1局を広島市内で、第2局は8月広島市郊外(五日市)で行われ
ます。
ところが8月6日朝、第2局の対局中、原爆の爆風に遭遇しました。

          (日本棋院HP/囲碁入門コーナー/囲碁雑学/囲碁の歴史)より

         ◇  ◇  ◇  ◇

今年は戦後60年にあたるそうです。囲碁棋士にとってもつらい時代だったと思われます。

それにしても広島に原爆が投下された日に、近くで本因坊戦が行われていたことが驚きで
すね。かかる非常時に平然と棋戦を開催した、主催者の心意気に拍手を贈りたいと思います。

         ◇  ◇  ◇  ◇

この戦争で三百万人近くの人たちが亡くなられたんですね。後1年早く終結していれば犠牲
者は半分近くになったのではないでしょうか。

この戦争は実力的には互戦の勝負ではなかったと思います。奇襲作戦で序盤はまずまずで
したが、中盤からは実力の違いを認識できた思われます。その時点で投了しておけば犠牲
者も少なく、もっと違った形で終局できたと思います。

あきらかな負け碁を未練がましく続行するのは、品性を疑われるとしたものでしょう。



◎2005/08/08 「全国高校囲碁選手権2005」

全国の高校生代表が一堂に介して熱戦を繰り広げる、囲碁の甲子園「第29回全国高校選手
権大会・全国大会(日本棋院、全国高等学校囲碁連盟、毎日新聞社)」が7月26日から28日
まで東京・市ヶ谷の日本棋院会館で行われました。

【結果】

〈団体戦・男子〉
 ・優勝:筑波大附属駒場高校(東京)、準優勝:麻布高、3位:ラ・サール高と灘高

〈団体戦・女子〉
 ・優勝・宮崎学園高校(宮崎)、準優勝:藤村女子高、3位:宮城第二女子高秋田北高

〈個人戦・男子〉
 ・優勝・高津昌昭(須坂東高・長野)、準優勝:糸山剛志 (真和高・熊本) 、
  3位:山本昌稔(藤枝明誠高・静岡)と太田尚吾(米沢興譲館高・山形)

〈個人戦・女子〉
 ・優勝・西香織(宮崎学園高・宮崎)、準優勝:下坂美織 (函館白百合学園高・北海道) 、
  3位:太田安里(豊島岡女子学園高・東京) と横田仁美 (防府高・山口)

                  (日本棋院HPより抜粋)

         ◇  ◇  ◇  ◇

高校生は夏休みとなり、今年も「囲碁の甲子園/全国高校囲碁選手権」で熱い戦いが展開
されたようです。

団体戦男子のベスト4は有名進学校が並んでいます。「高校の学力」=「囲碁の棋力」でしょ
うか。団体女子の場合は指導者の影響が大きいように思います。

個人ベスト4は女子の西さん以外は団体戦ベスト4高校の選手がはいっていません。やはり
チームの研鑽より個人の努力によるところが大きいということでしょうか。

個人戦男子優勝の高津さんは元院生で、プロ試験に挑戦する意向のようです。

個人戦女子準優勝の下坂さんは昨年、一昨年と優勝し、男子の高津さん同様3連覇がかかっ
ていましたが、決勝戦で敗退。この一戦、終盤で簡単なウッテ返しに合い負けたようですが悔
しいでしょうね。

         ◇  ◇  ◇  ◇

高校生というと青春真っ盛り、「囲碁の甲子園」がこれからの人生の応援歌になればと願う
次第です。



◎2005/08/01 「碁聖戦第3局/依田碁聖が3連勝で防衛」

 囲碁の依田紀基碁聖(39)に結城聡九段(33)が挑戦していた第30期碁聖戦五番勝負
の第3局は7月26日、鹿児島市の鹿児島サンロイヤルホテルで行われ、依田碁聖が黒番
中押し勝ちし、初戦から3連勝で碁聖位を防衛した。3期連続6度目。

 依田は序盤で築いたリードを拡大、粘る結城を振り切った。結城は初の7大タイトル獲得
を目指したが、力を出し切れずいいところがなかった。

<依田紀基碁聖の話>
 体調が悪く、勝てるとは思わなかった。難しい碁が多かったが(防衛できて)ホッとした。

<結城聡九段の話>
 序盤から形勢が悪かった。(全体を通して)内容が悪かった。

                   (南日本新聞より抜粋)


         ◇  ◇  ◇  ◇

第3局は依田碁聖の打ち回しが冴え、内容的にも完勝のようでした。
戦前の予想では結城聡九段の好調さが伝えられ「依田危うし」との評判でした。
しかし、いざふたをあけたところ一気の3連勝で防衛。「以外な」という印象です。

一方の結城聡九段、またもタイトル戦挫折ということで関西の囲碁ファンには残念な結果と
なりました。

両者は若手の頃、藤沢秀行塾などで数知れないほど打っているそうですが、その頃は先輩
である依田碁聖に結城聡九段は手が届かなかったということです。
その頃の苦手意識が作戦心理に影響しているのでしょうか。

         ◇  ◇  ◇  ◇

今回の対局地は鹿児島市。鹿児島出身の英雄といえば「西郷隆盛」が第一でしょう。
幕末といえば幾多の偉人が登場します。

坂本竜馬、木戸孝允、高杉晋作、勝海舟、大久保利通、岩倉具視等など。
それぞれ才能と個性に溢れ、日本の夜明けを担った逸材といえます。
これら幕末の偉人の中で西郷隆盛ほど「人望」に優れた人物はいないように思います。

囲碁界の「人望」で思い起こすのは「故加藤正夫九段」でしょうか。
もうこの世から去って1年半以上になりますが、マスコミなどの記事で「加藤正夫」の文字を
を見つけると、感慨深い思いにさせられます。


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