●○● 天声人碁 ●○●


2006年2月


2006-02-28 「『決断力』/羽生善治 著」


◆書籍紹介 (amazon.co.jp より抜粋)

 天才棋士が初めて大公開!「決断力」「集中力」の
 極意!「勝つ頭脳」は、こうして決断する。

◆目次
 ・第1章:勝機は誰にもある
 ・第2章:直感の七割は正しい
 ・第3章:勝負に生かす「集中力」
 ・第4章 「選ぶ」情報、「捨てる」情報
 ・第5章 才能とは、継続できる情熱である

    ◇   ◇   ◇

最近は囲碁の技術を解説する本より、対局の心理や棋士のプロフィールなどの記事に興味が
移ってきました。(棋力向上をあきらめた訳ではありませんが・・・)
囲碁の分野でその種の書籍を探していたのですが、適当な本がなく将棋の分野で本書を見つ
けました。
将棋界のトップ棋士が語る内容ですから説得力はありますが、私など凡人や、すでに年齢的に
ピークを過ぎた人にとってはハードルが高いように感じられました。

■印象に残った内容
  ◆「パソコンで勉強したからといって、将棋は強くなれない」
  これはNHKの囲碁講座で大森泰志八段も同じようなことをいっていました。
  画面で見るだけでなく、実際に盤に置かないと身につかないというこでしょうか。
  言われることは理解できますが、碁盤を出して石を並べる作業はだんだん億劫になって
  きました。(これでは棋力向上はおぼつかないようです・・・)

  ◆「将棋の歴史には、日本が世界に誇れる知恵の遺産がある」
  囲碁・将棋は日本の文化だと思います。国際交流の手段(手談)としてもっと脚光を浴び
  てほしいものです。



2006-02-26 「詰碁の勉強(風鈴会)」

昨日(2/25)は定例の「風鈴会」の日、テーマは詰碁の解説でした。
詰碁はヨミの基礎訓練と認識しているのですが、なかなか実行できないのが実情です。
若い頃はともかく、年齢を重ねると面倒になるんですね・・・

今回は定例会の終了後、プロを交えて食事に行きました。
碁界のことや会員の話など話題は尽きなく、2時間ほどがあっというまに過ぎてしまいました。
和気あいあいと世間話などができる、囲碁仲間の会合は心地よい時間です。



2006-02-24 「棋聖戦第4局/山下九段が4連勝で棋聖奪還」

 第30期棋聖戦七番勝負第4局は2月22日、23日に熊本市で行なわれ、先番の山下敬吾
九段(27)が羽根直樹棋聖(29)に白番で2目半勝ちし、4連勝で棋聖位を奪還した。

 2人は第28期棋聖戦七番勝負でも激突、この時は羽根が4勝3敗で山下から棋聖位を
奪取。山下は持ち前の勝負強さでリベンジを果たした。

 その勝負強さから「逆転力の山下」とも呼ばれる。今シリーズも後半の踏ん張りが棋聖奪還
を呼び込んだ。再び囲碁界の頂点に立ち、「次は世界戦で結果を出したい」と誓った。

<山下新棋聖の話>
 第1局と第3局は負けの碁だった。4連勝は信じられない。悪いときでも我慢し、息長く
打てたのがよかったと思う。

<羽根九段の話> 4局で終わったのは残念。不本意な結果だが、これが実力だから
しようがない。勉強し直し、再び棋聖戦七番勝負の舞台に帰ってきたい。

                      (読売新聞より抜粋)

         ◇  ◇  ◇  ◇

山下新棋聖、4連勝でのタイトル奪還おめでとうございます。
今までの山下新棋聖のイメージは「一気呵成に相手を攻め立てる」という印象でしたが、
今回は粘り強さで勝利を呼び込んだシリーズの感がします。
「腕力と持久力」が揃えば天下無敵、これから日本、いや世界の囲碁界を牽引してほしい
ものです。

一方の羽根前棋聖、残念でした。中部の羽根ファンもさぞ無念に思っていることと察せられ
ます。今回のシリーズでは迷いがあったのでしょうか。従来の落ち着いた棋風から新境地
への転換期かもしれません。無冠になったとはいえ四天王。今後の巻き返しが期待されます。

今回の棋聖戦、第4局で終了するのが惜しいですね。もう少しこの熱戦を見せてほしかったと
思いますが・・・

         ◇  ◇  ◇  ◇

今回の対局地は熊本市。熊本といえば熊本城ですが来年(2007年)は「築城400年祭」が
行なわれるそうです。

熊本城を築いたのは「加藤清正」。豊臣家を支えた武将として有名ですが、地元・熊本でも
清正の善政の功績は、今なお市民に慕われているそうです。
清正の死後20年ほどして豊臣譜代の名門も改易。その後は細川家が明治維新まで熊本を
治めていくことになります。

明治10年の西南戦争では熊本城の天守閣等が焼失(原因不明)。薩軍(さつぐん)の攻撃に
対し、熊本鎮台司令長官谷干城(たにたてき)は籠城を決意し、52日間に及ぶ籠城戦を守り
抜き、熊本城は不落の名城を名実ともに実証したそうです。

西郷隆盛は終焉の地城山で「わしは官軍に負けたのではない清正公に負けたのだ」と独白
したと、まことしやかに今も伝えられているとのこと。

もう30年近く前に熊本城に行ったことがあります。今、訪ねたら自身の歴史の見方も変わって
おり、その頃とは違った感慨を覚えるでしょうね。



2006-02-22 「『囲碁四天王』ニックネーム募集」

「宇宙流」武宮正樹、「コンピュータ」石田芳夫、「殺し屋」加藤正夫…、過去、碁界にはその
人となりを表すピッタリのニックネームがありました。現碁界の若手四天王と言われる、羽根
直樹棋聖、張栩名人、高尾紳路本因坊、山下敬吾九段には今のところ、これはと言うニック
ネームがありません。

そこで週刊碁と日本棋院ホームページ・碁バイルセンターの共同企画でこの4人のニックネー
ム募集を実施することとしました。後世まで末永く使ってもらえるような、各棋士にピッタリの
ニックネームを皆さんも考えてみませんか?

                      (日本棋院HPより抜粋)

         ◇   ◇   ◇

私が囲碁を覚えてから記憶にあるニックネームといえば冒頭の3人の他、「カミソリ坂田」坂田
栄男、「二枚腰」林海峯、「大竹美学」大竹英雄、「ロッキー」淡路修三などでしょうか。

その頃のジャーナリストは結構、「ウィット」、「ユーモア」、「シャレ」などに腐心したのではない
かと思います。

以外なのは一時代を築いた小林光一九段、趙治勲十段に、これといったニックネームが見当た
らないことですね。

せっかくの募集の機会ということで、私も頭をひねってみようかと思っています。



2006-02-20 「燃ゆるとき」

昨日、映画「燃ゆるとき」を見てきました。

■原 作: 高杉 良
 「ザ エクセレント カンパニー/新・燃ゆるとき」
 「燃ゆるとき」(角川文庫刊)
■脚 本: 鈴木 智
■監 督: 細野 辰興
■出 演: 中井貴一 鹿賀丈史 大塚寧々
 津川雅彦 伊武雅刀 長谷川初範 中村育二
■主題歌: 小田和正「そして今も」(BMG JAPAN)

舞台はアメリカ西海岸にある日系食品会社の社員が、工場再生に立ち向かう姿を描いた
作品で、テーマは「国と国の意識・価値観の違いをいかに乗り越えるか」という点だと思い
ます。

「人と人がいかに、分かり合えるか」、これは誰もが身近な問題として遭遇する課題ですが、
目的や誠意だけでは解決できない難問だと思います。
その状況下で「悩みながら自己のベストを尽くしてしていく」ということでしょうか。

それにしても日曜夕方の観客数が1〜2割の入りでは淋しいですね。
今どきこの種の作品は敬遠されるということでしょうか。
観客の年齢は50〜60代がほとんでしたが、本当は主人公(中井貴一)の年代以下の人に
見てほしい作品ですね。



2006-02-19 「怒涛の譜(第6局)高段の厚い壁」

※加藤正夫精局集「怒涛の譜」より譜の内容、コメントを順次記載していきます。

■第6期(読売)名人戦三次予選/S41(1966)/03/03
■白 島村俊廣 九段 : 黒 加藤正夫 三段 (5目半コミ出し)
■結果:「白の島村九段、184手で中押し勝ち」

■低段の一次予選を突破して二次予選、三次予選にしばしば枠抜けしたのが入段二、
 三年目。しかし九段陣の厚い壁にはね返され続けた。本局を見ると、その理由が分かり
 かけてくる。

■後年の評・思い出
・本局から加藤の弱点が見えてきた。一つは出来不出来の波が大きすぎること。これは
 若さゆえに仕方ないにしても、つまらないミスが多すぎる。この弱点はしかし間もなく修正
 される。

■コメント
・島村九段は中部総本部の重鎮として活躍し、門下に羽根泰正、山城宏、中野寛也など
 の精鋭を輩出。65歳での天元タイトル奪取は驚異的です。1991年6月21日没。享年79歳。
・「忍の棋道」、「いぶし銀」の島村と呼ばれ、その独自の芸風は玄人好みの味でした。



2006-02-17 「女流名人戦第2局 /青木八段がタイトル奪還」

 小山栄美女流名人に青木喜久代八段が挑戦中だった女流名人戦三番勝負第2局が、
青木先勝のあとを受け2月15日、東京・千代田区の「日本棋院」で行われ、白番・青木が
1目半勝ちし、2―0のストレートで4年ぶりに女流名人位を奪還。通算5期の新記録を樹立
した。

<青木新女流名人の話>
運だけで勝ったシリーズでした。女流名人戦は、私には大変ツキがある棋戦です。
子供に「お母さん、金メダルを取ってきてね」と背中を押されたのがよかったのでしょう。

<小山さんの話>
2局ともいい碁だったのですが…。甘さを厳しく反省し、また出直します。

         ◇   ◇   ◇

女流名人戦第1局 /青木挑戦者が半目勝ち

 「第18期女流名人戦」三番勝負第1局は、2月9日、神奈川県三浦市の「マホロバ・マイ
ンズ三浦」で行われ、黒番の青木が半目勝ちしタイトル奪取へ幸先良いスタートを切った。

                (産経囲碁Webより抜粋)

         ◇   ◇   ◇

青木八段が接戦を制し女流名人に返り咲きました。内容的には押され気味でしたが、我慢
で勝ち取ったという印象です。

一方の小山五段、中盤までは優勢との評判でしたが、後半の乱れが残念な結果になった
ようです。

両対局者は「ママさん研究会」で研鑽しているそうですが、家庭、育児を抱えての棋士生活
は男性棋士に比べ大変だと思います。

         ◇   ◇   ◇

青木新女流名人は菊池康郎氏が主宰する「緑星学園」出身。
「緑星学園」は山下敬吾九段はじめ幾多の高段者を輩出していますが、菊池康郎氏の存在
は偉大ですね。

         ◇   ◇   ◇

もう、7年前ほどになりますが会社の囲碁部で青木喜久代プロ、宮崎志摩子プロを招いての
指導碁会があり、私も教えてもらった記憶があります。
その時の印象としては「どこにでもいる、普通のお嬢さん」という感じでしたが、一流棋士にな
るまでの道のりは大変なものだったと想像されます。




2006-02-15 「武宮正樹九段が通算1000勝達成」

 武宮正樹九段が2月9日、公式戦通算1000勝(601敗2持碁)を達成しました。史上8人目の
達成です。
 これにより、55歳1ヶ月での達成となり史上5番目の年少記録(1位は趙治勲十段の43歳
1ヶ
月)、入段から40年10ヶ月での達成となり史上5位(1位は趙治勲十段の31年4ヶ月)、
達成時
勝率 .625となり史上8位(1位は小林光一九段の .680)となりました。

◎武宮正樹九段のコメント
 「1000勝はあと1勝となったときに多少意識した。達成できてうれしい。これからは勝数を
増や
すというよりも、またタイトルを取りたい。」

               (日本棋院HPより抜粋)

         ◇   ◇   ◇

史上8人目ですが、このうち木谷門下が5人(加藤正夫名誉王座 、小林光一九段 、大竹
英雄名誉碁聖 、趙治勲十段 、武宮正樹九段 )、木谷門以外で3人(二十三世本因坊坂田
栄寿 、林海峯名誉天元、羽根泰正九段)になるそうです。
木谷一門が日本の囲碁界にいかに影響力があったか分かりますね。

先日、ある人が「日本の棋士は碁以外にゴルフだ、麻雀だ、競輪だと本業以外にうつつを
ぬかしているから、韓国、中国に遅れるんだ」といっていました。

ある意味では当たっていると思います。しかし、中韓の棋士が第一線で活躍するのは30代
半ばくらいと棋士生命が短いのに比べ、日本は40代、50代がまだ第一線で活躍していま
す。
これは本業以外でリフレッシュしているからだ、と考えるのは「お国びいき」でしょうか。



2006-02-13 「梅沢プロの記事/歴史街道3月号」

毎月、「歴史街道」という月刊誌を購読していますが、3月号の「グラビア:この人に聞く」
という欄に梅沢由香里五段の記事が載っていました。

内容は日常的に使われる用語に囲碁用語が多いことや、歴史上の人物と囲碁の関わり
などです。

グラビア写真を見ると、数年前のアイドル棋士の時代に比べ表情に深みが増したように
思われました。

囲碁普及活動における女流プロの存在は今後、ますます重要になってくると思います。
プロ棋戦・囲碁イベント・普及活動など多才な活躍を期待しています。



2006-02-12 「群馬県女流アマ囲碁大会/2006」

今日は県女流アマ囲碁大会が行われました。
全国大会への予選を兼ねての大会ですが、参加者が21名と減少気味です。
今後は女子高生などへのPRが必要だと思われます。

優勝は小学5年生の新井さんで、昨年の木部さんに続き小学生の優勝となりました。

新井さんも木部さん同様、院生をめざしているそうです。
今後の活躍を期待しましょう。

         ◇  ◇  ◇  ◇

それにしても小学生の棋力アップの速さには驚かされます。
私などはもう20年以上、3段程度で足踏み状態です。でもあきらめずに精進しようと
思っています。



2006-02-10 「棋聖戦第3局/山下九段が3連勝」

棋聖戦七番勝負第3局は2月8日、9日に京都府舞鶴市で行なわれ、先番の山下敬吾九段
(27)が羽根直樹棋聖(29)に黒番で1目半勝ちし、3連勝とした。第4局は2月22、23日、
熊本市で行われる。
 解説の結城聡九段は「両者の気合が正面からぶつかった好局だったが、最後は山下九段
の辛抱が実った」と話している。

<山下九段の話>
 コウ争いで少し得したようだ。1局でも負けると流れが変わるので、一気に決めたい。

<羽根棋聖の話>
 左下にコウ材があるのに気付かなかった。3連敗したが、1局ずつ全力を尽くす。

                      (読売新聞より抜粋)

         ◇  ◇  ◇  ◇

中盤では羽根棋聖がやや有利との評でしたが、後半から山下九段の追撃が厳しく最後は
抜き去った一局のようです。
これで山下挑戦者の三連勝となり、タイトル奪取は目前となりました。

一昨年の棋聖戦では挑戦者の羽根さんが山下さんに三連勝した後、三連敗し最終局で
辛くも勝ち棋聖位を奪いました。

山下九段の場合、連勝・連敗のケースが多いのでまだ予断を許さないと思います。
囲碁ファンとしては一局でも多く打ってもらいたいと思いますが・・・

         ◇  ◇  ◇  ◇

今回の対局地である京都府舞鶴市は「引き揚げの町」とともに「《肉じゃが》発祥の地」と
しても有名だそうです。

◆以下、舞鶴市HPより抜粋

「肉じゃが発祥の地・舞鶴」

 かつて、日本の海軍では、航海中の水兵さんの脚気を防ぐため、栄養のバランスを考えて、
英国海軍の艦上食をモデルに食事を改善したそうです。

 ご存じのように、明治34年(1901年)に舞鶴海軍鎮守府が開庁され、初代司令長官として
東郷平八郎が着任しましたが、青年時代には英国は主にポーツマスに留学していました。

 東郷さんは、その頃食べたビーフシチューの味が忘れられず、部下に命じて艦上食として作
らせたのが、肉じゃがの始まりと言われ、栄養バランスも優れていることから、艦上食として
広まったのでしょう。



2006-02-08 「棋聖戦第3局始まる」

 期棋聖戦七番勝負、羽根直樹棋聖(29)と挑戦者、山下敬吾九段(27)の第3局が
2月8日午前9時、京都府舞鶴市で始まった。

 戦後、大陸からの引き揚げ港となった同市の「引き揚げ60周年」を記念する対局で、
地元ファン約20人が見学する中、定刻、立ち会いの坂口隆三九段の合図で先番の山下
が右上に第1着を打った。

                         (読売新聞より抜粋)

      ◇   ◇   ◇

京都府舞鶴市が対局地になるのはめずらしいと思います。
舞鶴市といえば引き揚げの町というのが第一感でしょう。演歌「岸壁の母」でも有名です。

♪ 母は来ました 今日も来た〜
  この岸壁に 今日も来た〜
  とどかぬ願いと 知りながら〜
  もしやもしやに もしやもしやに
  ひかされて〜 ♪

私自身は戦後世代で、ラジオのニュースから流れる「引き揚げ情報」を聴いたり、映画館で
放映される時事ニュースを見て、知っている程度です。

現在の日本は衣食足りて豊かな時代なっていますが、この頃の「苦難の足跡」の延長線に
成り立っていることを、忘れてはいけないと思います。

      ◇   ◇   ◇

◆以下、舞鶴市HPより抜粋

「引き揚げと舞鶴港」

 第2次世界対戦の終結後、海外諸地域に残された日本人の数は、軍人・軍属が330万
人、一般邦人が300万人以上といわれ、これらの人々は、短期間にしかも一斉に帰国しな
ければならなくなりました。これを「引き揚げ」といい、この人たちの速やかな帰国は全国の
切なる願いでありました。

 この膨大な、海外からの引き揚げは、まさに史上その類例をみない民族の大移動であり、
国内から駆けつけた肉親との再開は明暗と哀歓を織りまぜた人生の一大ドラマでした
。昭和33年9月の最終船入港までの13年間、数多くの新聞、報道関係の記者、カメラマン
の取材によって、内外に報道されました。

 特に舞鶴港は昭和25年以降、国内唯一の引揚港として最後まで重要な役割を果たし、
「引き揚げの町・舞鶴」の名が全国に広まりました。



2006-02-06 「棋聖戦第2局/挑戦者の山下が2連勝」


棋聖戦七番勝負第2局は2月1日、2日に岐阜県下呂市で行なわれ、白番の山下敬吾
九段(27)が羽根直樹棋聖(29)に白番で6目半勝ちし、2連勝とした。

羽根の封じ手をきっかけに中央黒への攻めに回った山下は、右辺から中央にかけて地を
まとめて攻めの効果を挙げ、流れをつかんだ。
非勢を意識した羽根は紛れを求めて左辺の白地になだれ込むチャンスをつかみ、今度は
この黒石をめぐる大コウが発生。
黒は左辺で生き、白は右辺を突き抜く振り替わりとなった。最後は寄せ合いとなったが、
山下がリードを守りきった。

<山下九段の話>
 打ちたい手が打てた。4勝しなければ意味がないので次も思い切りいきたい

<羽根棋聖の話>
 中央の白模様が大きすぎ、2日目の午前中には負けにしていた。1局でも多く打てるよう
頑張りたい

                (読売新聞より抜粋)

         ◇  ◇  ◇  ◇

山下九段の戦闘力と形勢判断が勝利を呼び込んだようです。羽根棋聖の実利に対し悠然と
厚みで対抗する勇気には感服します。

一方の羽根棋聖、厳しいと思われた封じ手が逆にチャンスを与えた形となりました。厳しい手
は諸刃の剣ということでしょうか。

これで山下九段の2連勝、断然有利となりました。しかし羽根棋聖も粘り強いタイプ、次回
以降の巻き返しが期待されます。

         ◇  ◇  ◇  ◇

第2局の対局地は日本三名泉と称される、岐阜県の下呂温泉。
囲碁・将棋のタイトル戦で有馬温泉、下呂温泉はしばしば登場しますが、群馬の草津温泉は
ほとんどありません。
交通アクセスで不便な面もありますが、全国の温泉の中で人気度の高い草津で是非開催し
てほしいものです。

2004年の「ねんりんピック群馬」の囲碁部門会場は草津温泉で、全国から250名もの囲碁
ファンが訪れ囲碁と温泉を楽しまれました。「囲碁と温泉」、相性はいいと思いますよ。

【日本三名泉】
江戸時代、徳川家康、秀忠、家光、家綱の四代の将軍に仕えた儒学者、林羅山(1583〜
1657年)詩文集第三に全国の温泉の中で、草津、有馬、下呂が天下の三名湯と記されて
いたことによって、【日本三名泉】と称されています。



2006-02-04 「怒涛の譜(第5局)若さを暴露」


※加藤正夫精局集「怒涛の譜」より譜の内容、コメントを順次記載していきます。

■第5期十段戦二次予選/S40(1965)/07/29
■白 加藤正夫 二段 : 黒 梶原武雄 九段 (5目半コミ出し)
■結果:「黒の梶原九段、131手で中押し勝ち」
■前局の対杉内九段戦に続く高段者への挑戦。しかし甘さが目立ち、またも完敗だった。
■後年の自評・思い出
・序盤、白(加藤)の模様志向も甘さが見られ、黒に厚みをボカされる。
・白模様の穴を破られ、地合の差はいかんともしがたく、中央制覇も破綻に終わった。
■コメント
・一手の厳しさを追求する梶原九段に翻弄された一局もようです。
・梶原九段は藤沢秀行、山部俊郎とともに「戦後派三羽烏(がらす)」と呼ばれ、、真っすぐ突き
 進むドリルのような、その棋風から「ドリル梶原」の異名がありました。
 木谷道場の師範をしていた時期があり、木谷門下生に多大な影響を与えました。
 「オワ」「アタタタ」「ニッピラ」等、ユニークな用語と毒舌を交えた解説は、多くの囲碁ファンを
 楽しませてくれました。



2006-02-02 「2005年/棋道賞」


 日本棋院は1月20日、第39回「棋道賞」選考委員会を開き、2005年度の最優秀棋士賞に
張栩名人・王座(26)を選んだ。3年連続3度目。本因坊は失ったが2冠を防衛、トーナメント
棋戦や国際棋戦でも活躍した。

 受賞者は次の通り。

 ▽最優秀棋士賞 張栩名人・王座
 ▽優秀棋士賞 羽根直樹棋聖、高尾紳路本因坊
 ▽最多勝利賞 小林覚九段=46勝(16敗)
 ▽勝率第1位賞 井山裕太七段=7割5分5厘(40勝13敗)
 ▽連勝賞 武宮正樹九段=16連勝
 ▽最多対局賞 張栩名人・王座=63対局
 ▽女流賞 矢代久美子女流本因坊
 ▽新人賞 井山裕太七段
 ▽国際賞 張栩名人・王座
 ▽特別賞 該当なし

                  (「日経e-碁サロン」より抜粋)

         ◇  ◇  ◇  ◇

昨年活躍した棋士がずらりと並んでいますが、注目したいのは最多勝利賞の小林覚九段と
連勝賞の武宮九段です。
40代、50代の棋士が若手を抑えての活躍、中高年に元気を与えてくれます。

若手四天王で山下九段の名がないのがさみしいですが現在、棋聖戦を戦っており、十段戦
の挑戦者にも名乗りをあげました。
昨年から王座戦(挑戦失敗)、天元戦(防衛失敗)、棋聖戦(挑戦中)、十段戦(挑戦)とタイ
トル戦4連続出場は新記録ではないかと思います。来年の棋道賞 には登場してくるでしょう。


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