1991(平成3年)3月20日 | |
第4号 |
巻頭言 |
●「私と囲碁」 中島 孝 (東セミ/営業センター)
私が囲碁を始めたのは24歳の時で師匠は48歳の人であった。今私もその年を迎えようと
している。月日の経つのは早いものである。
私の師匠は面倒見がわるく何も教えてくれない。星の定石の入門書を一冊くれただけ、おか
げで師匠に9子で勝つまで半年かかった。最初は盤上の黒が一つも残らないときもあった。しか
し不思議なもので9子で勝てるようになると6子までは比較的早く進んだ。
その頃、私は(む)の春秋寮に住み、現囲碁部の加藤さん、経理の折笠さんと3人で狂ったよう
に打った。土日はもちろん、同室の人を気遣って押入れの中でも打った。
他にも色々エピソードがあり、碁笥と茶碗を間違え手を入れたり、3人分買った今川焼きを碁を
打ちながら18個も食べ、腹痛で管理人に医者を呼んでもらったり、今振り返ってみると自分の
人生の中で一番楽しかった時期かもしれない。
私はプロ棋士では武宮十段が好きである。ずば抜けて強いとは思わないが夢とロマンがある。
息子にも正樹とつけたほどである。これからのプロは本業以外でもタレント性がないと一流とは
いえないと思う。その意味で武宮はゴルフ・対談などマルチタレントぶりを発揮している。
私も本業以外にいろいろな世界に目を向け、視野を広くしていきたいと思っている。
▼ 「新春囲碁大会」開催
・日時:1月26日(土)
・場所:赤城クラブ
・参加者:12名
恒例の新春囲碁大会を1月26日(土)赤城クラブに12名が参集し熱戦を展開した。
今回より手合いはインフレ気味の段級位からポイント制で行うことにした。
成績は病み上がりの堀田が接戦を制し連続優勝。2位は武田、3位は初参加の佐藤という
結果で終わった。
次回は「新緑囲碁大会」を計画しています。部員のみなさん日頃より腕を磨いて臨んでください。
(関根)
◇ ◇ ◇ ◇
大会成績
No | 氏名 | 部署 | ポイント | 福田 | 中嶋 | 船田 | 武田 | 関根 | 角田 | 勝 | 負 |
1 | 福田康夫 | 試セ | 7 | × | × | × | 〇 | 1 | 3 | ||
2 | 中嶋富美二 | 品証 | 8 | 〇 | × | 〇 | 2 | 1 | |||
3 | 船田克 | 東エレ | 8 | × | 〇 | × | 1 | 2 | |||
4 | 武田正久 | DECO | 9 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | 4 | 0 | ||
5 | 関根良英 | 東エレ | 11 | 〇 | 〇 | × | × | × | 2 | 3 | |
6 | 角田 | 東エレ | 16 | × | × | 〇 | × | 〇 | 2 | 3 |
No | 氏名 | 部署 | ポイント | 堀田 | 加藤 | 中島 | 鈴木 | 佐藤 | 羽鳥 | 勝 | 負 |
1 | 堀田修三 | リデ製 | 3 | 〇 | × | 〇 | 〇 | 〇 | 4 | 1 | |
2 | 加藤正二 | マイコン | 4 | × | 〇 | 〇 | × | × | 2 | 3 | |
3 | 中島孝 | 東セミ | 4 | 〇 | × | × | 1 | 2 | |||
4 | 鈴木伊三郎 | 電子販 | 7 | × | × | × | × | 0 | 4 | ||
5 | 佐藤和弘 | マイコン | 7 | × | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | 4 | 1 | |
6 | 羽鳥和夫 | PKG | 9 | × | 〇 | 〇 | × | 2 | 2 |
決勝 堀田〇 − ×武田
▼ 「全日立会社長杯・囲碁大会」開催
・日時:3月2日(土)
・場所:東京・日本棋院
・参加者:30チーム(5人/チーム)
去る3月2日(土)、東京の日本棋院において「全日立会社長杯専門部代表戦・囲碁大会」
が全社より30チーム(5人/チーム)参加し開催された。
試合は4ブロックに分け、各ブロックの優勝4チームが決勝トーナメントに進み優勝を争うもの
である。
(た)はBブロックで(ソフト)(横浜)(機研)と対戦し、1勝2敗で決勝進出はならなかった。
なお、結果は優勝を(システム)、準優勝(生研)以下(本)(日研)(日)(む)の順であった。
全体的には研究所、ソフト関係の事業所が上位を占めた。(た)も「参加することに意義あり」
とはいえ、次回はさらに研鑚し上位を狙いたい。 (加藤)
◇ ◇ ◇ ◇
大会成績
事業所 | (ソフト) | (た) | (横浜) | (浜) | (日研) | (栃) | (機研) | (と) | 勝点 | 勝数 | 順位 |
(ソフト) | 4-1 | 5-0 | 4-1 | 3 | 13 | 2 | |||||
(た) | 1-4 | 4-1 | 1-4 | 1 | 6 | 4 | |||||
(横浜) | 1-4 | 1-4 | 1-4 | 0 | 3 | 7 | |||||
(浜) | 0-5 | 4-1 | 0-5 | 1 | 4 | 6 | |||||
(日研) | 5-0 | 5-0 | 5-0 | 3 | 15 | 1 | |||||
(栃) | 4-1 | 0-5 | 1-4 | 1 | 5 | 5 | |||||
(機研) | 4-1 | 4-1 | 4-1 | 3 | 12 | 3 | |||||
(と) | 1-4 | 0-5 | 1-4 | 0 | 2 | 8 |
氏名 | 部署 | (ソフト) | (横浜) | (機研) | 勝敗 |
堀田修三 | リデ製 | × | 〇 | × | 1-2 |
加藤正二 | マイコン | 〇 | 〇 | × | 2-1 |
中島孝 | 東セミ | × | × | 0-2 | |
高橋延秋 | 生技 | × | 〇 | 〇 | 2-1 |
佐藤和弘 | マイコン | × | 〇 | × | 1-2 |
武田正久 | DECO | × | 0-1 | ||
1-4 | 4-1 | 1-4 | 6-9 |
随筆 |
「私と囲碁との出会い」 市川公則(生技)
私と囲碁との出会いは中学2年の頃であったと思う。その頃多くの友人は将棋を指して
いた。私も参加し指していたが常に負けっぱなし。そこで碁ならば誰も打っていないので
ゼロから勝負できると考え、周りの友人達を誘い打ち始めた。その頃父が碁を打っており
その影響もあり常に連戦連勝。
以来、碁を打っているが本格的に勉強したことはない。そのため我流の碁が今も続く。
その後友人達は学生時代に相当打ち込んだようでかつてのカモ達は四段・五段の腕前
になっており、棋力に雲泥の差がついてしまった。
いまさらながら自分の不甲斐なさを悔やんで、たまに碁会所に足を運ぶが効果はまだ現
れていない。少なくとも有段者には早くなりたい。
発行者:加藤正二 編集者:関根良英